るほど――その通り、これに違いない、百姓の本分を知らせるには、『百姓』の文字から説いて聞かすが本筋じゃ、自分が百姓のくせに、百姓百姓と人を軽蔑する奴から退治せにゃいかん、天皇様と百姓の間をさまたげる、もろもろの寄生害虫から退治せにゃ、国は治まるものではござらぬ、百姓大腹ナレバ国富ミテ兵強ク、百姓空腹ナラバ国貧ニシテ兵弱シ、ツトメザル可ケンヤ――大賛成!」
 慢心和尚が双手《もろて》を挙げて賛成したものですから、百姓弥之助も大いによろこびました。

         七十四

 その前後、京都の二条城で勝麟太郎の受爵の式が行われました。
 夢酔道人の丹精むなしからず、あっぱれ幕府旗下の麒麟児《きりんじ》として、徳川の興亡を肩にかけて起つ人となり、ここに、受爵の恩命が伝わること偶然ならずと言わなければなりません。これより先、受爵の内命が伝わった時、勝は考えました、
「さて、受爵には何の国を所望したものか、願わくば日本一の小国を願いたい」
 そこで、安房守《あわのかみ》が選まれました。大国を名乗ったところで大国の主となるわけではなく、小国を冒したからとて器量が小さくなるわけではないのだが、勝がさらに小国を所望したのは、この人特有の皮肉がさせる業らしい。この人は、後年、功成り名遂げて、維新の功臣の中に加えられ、ここに再び明治政府の下に受爵の恩命が行われるの際、子爵に叙せらるるの風聞を伝え聞いて、
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今までは人並なりと思ひしに
  五尺に足らぬ四尺なりけり
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と歌をよんで、さてこそ伯爵に叙せられたという伝説のあるくらいの人ですから、そういう人を食った性癖が、おのずから小国を好んで所望することになったらしい。
 それはさて置き、当時、叙爵の儀が済んでから、控室に於て、諸士を相手の気焔の中に次のようなのがありました、
「政治家の秘訣《ひけつ》はなにもないよ、ただ誠心誠意の四字ばかりだよ――内政のことにしろ、この秘訣を知らないから、どうも杓子定規《しゃくしじょうぎ》で、さっぱり妙味というものがない。徳川氏のやり方は、いま言った四字の秘訣を体認して、よく民を親しんで、実地に適応する政治をやったものだ、その重んずるところは人にあって、法にあるのではない、八代将軍の時に諸法度《しょはっと》の類もやっと出来上ったくらいだが、それにしても北条時代
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