呼ぶに『百姓』の語を以てし給ふ。愚、ひそかに数へ上げ奉るに、日本書紀三十巻の中に於て、天子おんみづから『百姓』の語を以て呼びかけ給へるところ七十四ヶ所に及ぶ。殊に、第十六代仁徳天皇に於かれては、
『君ハ百姓ヲ以テ本トナス』
『百姓貧シキハ則《すなは》チ朕《ちん》ノ貧シキナリ、百姓ノ富メルハ則チ朕ノ富メルナリ』
とまで仰せらる。
まことに、日本は天皇の国にして百姓の国|也《なり》。天皇は親にして百姓は子也。関白、将軍、国主、郡司、諸々《もろもろ》の門閥は皆後世この百姓の間より出でて、或は国家に功あり、或は国家に害を為《な》す。功あるは即ち天皇と百姓の間を助くるなり。害あるは則ち天皇と百姓の間を紊《みだ》すなり。
中世以後に漸く『百姓』の名を農耕者に限るやうになり行くと共に、これに下賤軽蔑の色を附与したるは、まさしく中間勢力の横暴の致すところなれば、日本の政治の革新は、天皇と百姓の間を、古《いにしへ》の美風に帰すことなり。
かく、百姓は即ち万民の意味にして、農耕業者に限りたる約束は更になしといへども、百姓の基本業が則ち農耕に存すること、万世|渝《かは》ることあるべからざる也。
それ、如何《いか》に世態変化するとも、人は衣食住なくして生くること能《あた》はざるなり。而《しか》して衣食住の生産は農業を待ち、これを為すより外にその道あるべからず。政治は即ちこの生産を助長するの道にして、商工は即ちこの生産を融通するの道也。根幹を侮りて、枝葉のみを繁茂せしむる国は危し。
されば日本の百姓たるものは、自らが天皇の大御宝《おほみたから》たることを畏《かしこ》み、専《もつぱ》らこの道をつとめ、国に三年の蓄へあり、人に三年の糧《かて》あり、而して後に四方経営を隆《さか》んにすべきなり。而して後に通商貿易を盛んになすべきなり。本を忘れて末に走ることあるべからず。
近代は国難内外に起りて、志士東西に奔走すといへども、国本培養に心を注ぐの士、極めて乏しきは慨すべく歎ずべし。故に良き百姓は、世上の空言虚語に惑はされず、大いに食ひて大いに働き、自ら三年の糧を貯ふると共に、国に三年の糧を捧ぐることを本意と心得べきなり。百姓大腹なれば国富みて兵強く、百姓空腹ならば国貧にして兵弱し。つとめざる可《べ》けんや」
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 これを読み了《おわ》った慢心和尚は大いに感心して、
「なるほど、な
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