、ジャガタラ薯《いも》というのがござんすが、あれは近ごろ南蛮から来たのだそうですが、結構たくさん取れて穀類の代りになります、あれをお植えなさい。
 そうして、用心をして置いて、いざ饑饉という時には、その貯えを大切に、控え目にして食べるです。そうすれば、悪食《あくじき》をしないでも次の実りまで、きっと凌《しの》げるものでござんすよ。でござんすから二宮先生は、饑饉の年でも決して、草の根や木の皮を食えとはおっしゃいませんでした。心がけさえして置けば、どんな饑饉にでも五穀を食いのばして行けるものでございます。饑饉の時は、なんでも食べられます、食べなければならない場合もあるでございますが、少しの間はいいが、長くなると病気になります。
 こういう説教を与八が試みました時に、慢心和尚が来合わせて、次のようなあいづちを打ちました。
 そうとも、そうとも、与八の言うことと、二宮尊徳の言うことは間違いはないぞ、饑饉は怖いぞ、用心して五穀を貯えろよ、草根木皮は食うなよ。天保の饑饉の時、わしは江戸で見たがな、なにしろ作の本場の百姓でさえ、食う物がなくて餓え死ぬ世の中だから、町家ときては目も当てられなかったよ。その時の窮策でな、赤土一升を水一升で溶いてな、それを布の上に厚く敷いて、天日《てんぴ》に曝《さら》して乾かしてから生麩《なまふ》の粉などを入れてな、それで団子を作って食ったものもあったぞ、それから松の枝を剥いで鯣《するめ》のようにして食い出した者もあったぞ。わしも食ってみたよ。わしなんぞは腹が出来ているから、何を食っても、あんまり当りさわりということはないが、普通の人間は、たんと食えば黄疸《おうだん》のような顔色になって、やがて病気だ。この間も「救荒草木」という本を、わしがところへ持って来て見せた人がある。その本には、野生の草木で食えるものの種類を三十種も挙げて、その料理方などを書いてあったが、わしはああいうことはあんまり賛成をせんのだ。わしなんぞは腹が出来ている上に、口がこの通り大きいから、なにを投げ込んでもたいていは当りさわりなく消化するようなものだが、人間並みの人間は、人間並みの食物を食うがよい。なんにせよ、天照大神、神農帝以来、人間が選りに選り出して来た今日の五穀蔬菜というものは、人間の養いには最上無類のものさ。野草雑草も食って食えないことはないが、食わずに済めば食わずに済ます
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