できない」
と、こう独《ひと》り言《ごと》を言いながら、ほくそ笑みをつづけましたが、その笑顔は、我が子の手柄を親としての自慢と誇りに堪えないような笑顔でないと誰が言います。事実上、七兵衛は、わがこと成れりというほどに、そのことを喜んでいるのは確かです。
お松についても、駒井についても、知るだけを知りつくしている七兵衛入道は、今さら、「縁は異なものとはよく言ったものだなあ」と、ひたすら、その縁という異常なることに感じて、それの正しいか、正しからざるかは考えていないらしい。考える暇もないらしい。もし、少々でもその余裕があったとしたならば、彼は第一に、このことが宇津木兵馬というものにとって、いいことか、悪いことか、そのことだけでも一応は考えなければならないはずなのです。
七兵衛としては、一日も早く兵馬に本望を遂げさせて、そのあと二人を一緒にしてやる、これが一生の願いで、これまで陰に陽にそのことに力を入れて来たのですが、ここで、そういう結構が、すっかり打ちこわされてしまっていることを知った以上は、お松に対して苦言を言わなければならず、駒井に対して直諫《ちょっかん》もしなければならないところなのですが、これがすっかり消滅して、
「お松もいよいよ女になった、これで、おれも安心だ」
という安心と満足でいっぱいなのは、どうしたものでしょう。こうして七兵衛が、大安心と満足で満ちきっているところへ、天幕の外から、
「おじさん、来ているの?」
これも、うら若い女の声でありました。紛《まご》う方《かた》なき奥州の南部で、七兵衛入道がむりやりに押しつけられて来た、お喜代という村主の娘の声に相違ありません。
三十一
「お喜代坊か」
と七兵衛が言ったので、
「おじさん、一人?」
と答えて天幕の中へ現われたのは、湯の谷の温泉で、きわどい時に拾い当てた山方の娘のお喜代であります。
お喜代は、紺飛白《こんがすり》のさっぱりした着物をつけて、赤い帯をしめ、手拭を髪の上に垂らして、手甲《てっこう》脚絆《きゃはん》のかいがいしいいでたちで入って来ました。その張りきった体格と、娘でありながら、まだ子供のような無邪気な初々《ういうい》しさが、思わず七兵衛を見惚《みと》れさすものがあります。
「ああ、わしは今、駒井様へ行ってお指図を受けて来たところなんだが、もう、みんな働きに来るだろ
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