の立場で研究をつづけている、その変らぬ面の、すずしい中のきびしさを見ると、あの時の、あの言葉が、通り魔のように、何ものかのいたずらがさせたことではないかと感ずるばかりです。
 それから一週間ばかり経って後のある日、開墾の方が予定よりもずっと速《すみ》やかに進んだことのお祝いを兼ねて、慰労の催しをすることがありました。その主唱者は七兵衛で、また委員長も七兵衛であります。取って置きの食糧を整理して、赤の御飯を炊《た》く、手づくりの諸味《もろみ》の口を切る、海でとった生きのいい魚、陸で集めた自然の野菜、バナナ、パイナップル、それから信天翁《あほうどり》を料理した肴《さかな》、そういったような山海の珍味を用意して、折柄、その晩は大空に皎々《きょうきょう》たる月がかかり、海上千里、月明の色に覆われて、会場は椰子《やし》の葉の茂る木の間に開かれてありました。
 勇ましき開墾の凱歌を唱えて、一同が飽くまで、この月に酔い、海に躍るの興は、世界に二つとない、ここまでの苦を慰めるに余りあるもので、全員がみな十二分に歓を尽し、歌うもの、踊るもの、吟ずるもの、語るもの、さまざまに発揮して、島一つ浮き上るような景気でした。
 七兵衛は、自ら楽しむと共に、司会者としての用心に抜かりなく、白雲は酒を呑んで、ひとり嘯《うそぶ》いて豪吟をはじめる、それについて清澄の茂太郎が、身振りあやしく踊って倦《あ》きないものですから、田山も歌って疲るるということを知りません。茂太郎の踊りは一座の花であると共に、他の船頭たちもまた、これにそそられて芸づくしがはじまります。白雲は興に乗じて、それらのお国芸をいちいち審査審判して廻りました。
 ウスノロのマドロスまでが、大はしゃぎでハーモニカを持ち出すと、それがまた一座の人気を呼ぼうというものです。
 そこで興がいよいよ亢《こう》じて、尽くるということを知りません。

         二十七

 駒井甚三郎は酒を飲むことをせず、また唄うことも、踊ることも、いずれも興味を持ち得ていないけれども、ただ、衆がたわいなく喜び興ずること、そのことを興なりとして、やがて、自分ひとりこっそりと椰子《やし》の葉蔭から海岸の方へと歩みを運んで、上気した頬を海風に嬲《なぶ》らせ、かがやく汀《みぎわ》の波に足許を洗わせながら、歩むともなく歩んで行きました。
 お松も同じ思いです。皆の楽し
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