の利を得なかった。
 北陸の鎮《しずめ》が遠くして、中京に鞭《むち》を挙ぐるに及ばない間に、佐久間蛮甥の短慮にあやまられ、敏捷無類の猿面郎にしてやられたという次第だから、全力を尽しての興亡の争いとは言えなかっただけに、柴田方に尽きざる恨みが残るというものである。当年、この猛将を主《あるじ》として城下に生を安んじていた者にとっては、最も誇るべき好主であって、悪《にく》むべき悪政の主としての記憶は微塵もないはず。それを時の勢いに乗じて、脆《もろ》くも踏み破って、その妻妾を取って帰るというような猿面郎の成金ぶりには、むしろ憎悪を感じようとも、好感の持てようはずがない。
 日本の人気から言えば、猿面郎は天下取りであるけれども、この土地から言えば、天魔|来《きた》って好主を亡ぼす、と言って言えないこともない。他の地方ならば、秀吉の古跡を光栄として、これに「天下ヶ池」の名を附けたかも知れないが、ここでは「天魔ヶ池」という。まさに無理のない情合いもある、というようなことを兵馬が感じました。
 そういうような混み入る感情に、頭が縦横に働いたが、足羽の台に立つことしばし、歴史的の感傷がようやく去ってみると、ただ見る越前平野の彼方《かなた》遥《はる》かに隠見する加賀の白山――雲煙漠々として、その上を断雲がしきりに飛ぶ。今や雨を降らさんかの空に、風さえかけつけている。兵馬の眼と頭脳とは、はしなくも去って、あわら[#「あわら」に傍点]のいでゆの曾遊――といっても、たった今の朝、辞して出て来たその後朝《きぬぎぬ》のことに思い到ると、何かは知らず、腸《はらわた》がキリキリと廻るような思いが起って来ました。

         五十八

 福井を出立した宇津木兵馬は、浅水、江尻、水落、長泉寺、鯖江、府中、今宿、脇本、さば波、湯の尾、今庄、板取――松本峠を越えて、中河、つばえ――それから柳《やな》ヶ瀬《せ》へ来て越前と近江の国境《くにざかい》。その途中、鯖江を除いては城下とてはなく、宿々駅々も、表日本の方に比べて蕭条《しょうじょう》たるものでありましたけれども、それでも、歴史に多少とも興味を持つ兵馬は、もよりもよりの名所古蹟に相当足をとどめて、専《もっぱ》ら、北国大名と京都との往来交渉を考えたりなどして歩みました。そうして無事二十里の道を突破して、このところ、越前と近江の国境、柳ヶ瀬までの間、道の甚《はなはだ》しく迫ることを感じ、なるほど、ここは要害だ、柴田勝家が越前から上るにしても、羽柴秀吉が近江から攻めるについても、両々共にその咽喉首《のどくび》に当る、兵を用ゆるには地の利を知らなければならぬというようなことを、何とはなし、痛切に感ぜしめられました。
 そうして、福井の足羽山で呼び起された柴田陥落の悲劇だの、太閤の雄図だの、実際に於ての想像を追うて行くうちに、不思議と、北の庄の城から送られて来る淀君の面影、その母のお市の方、武力戦は同時に色慾戦であった。国を取り、城を屠《ほふ》った勝利者の獲物の中には、必ずや女がある――というようなことまで、ひとり旅の身には、何とはなしに思いやられるのでありましたが、実を言うと、それらの名所古蹟よりも、歴史人物よりも、兵馬の脳中に食いついて離れないのは、あの田舎芸者《いなかげいしゃ》の福松のことばっかりでありました。我ながら、切れっぷりのさっぱりしたことを感じないでもないが、それにしても、どうも痛切にあの女のことばっかりが頭に残っているのは、何としたことだ。
「あなたは、女の情合いというものはわかっているけれど、女の意地というものがわからない」――自分としては実際、手際よく相手になり、手際よく別れて来たと思うけれど、それにしては、何か大事なものを落して来たような気がしてならない。捨てたつもりでやって来たのに、実はまだ頭に置いている、背に負っている。昔、なにがしの禅僧が二人、川の岸に立っていると、一人の手弱女《たおやめ》が来り合わせて、川を渡りわずらうのを見て、一人の禅僧が背中を貸して、その妙齢の女を乗せて川を渡してやって、向う岸で卸《おろ》して別れた。程経て、一人の禅僧が曰《いわ》く、君とは今後同行を断わる、なぜだ、出家の身で眼に女人を見るさえあるに、その肉体を自分の背に負うて渡るとは何事だ、そういう危険な道心者とは同行を御免|蒙《こうむ》りたい、そう言われると、女を負うて渡した禅僧が恬然《てんぜん》として答えるよう、おれはもう女を卸してしまったが、貴様はまだ女を背負っている!
 そうだ、そうありそうなことだ、おれはまだ女と別れていないのだ、と宇津木兵馬が、むらむらとそのことを考えました。兵馬は自分が潔白無垢な身上だとは信じていない。色里に溺《おぼ》れて人を泣かせたこともあるし、女に対しては脆《もろ》いものだという過去の経歴を自白せざるものあるを悲しむ。だが、妙に人見知りをして、意地を張ることもあるにはある。迷うべき時には迷うが、迷わざらんと意地を張れば、張り通すこともできるのだと信じてもいるし、また相手次第によって、人見知りをする引け目か用心か知らないが、一髪に食いとめる体験をしていないではない。お松のような堅実な女性には、どうも、いくら真実が籠《こも》っていても、狎《な》れることを為し得られないし、お絹というような爛《ただ》れた女の誘惑は、逃げることも知っているが、今度の道中では、あの大敵を道づれにして、とうとう自分の節操を守り通して来たということに、多少とも勝利に似たような快感を覚えて、かく引上げては来たのだが、ここへ来るまで、何やら言い知れぬ空虚を感じ、綿々としてあの女のために糸を引かれてたまらない。自分が、あの女一人を目の敵《かたき》として、女は絶えず素肌で来ているのに、自分だけは甲冑を着通して相手になって来た、それは勇者の振舞でもなんでもなく、卑怯な、強がりな、笑止千万な行程ではなかったか。落ちなかったところが何の功名? 落ちてみたところが何の罪? たかが女一人のほだし、女というものの意気に感じてやらなかった自分がかえって大人げない! 今となってみると、無性に何だか、あの女がかわいそうだ。あの女としては、全力を尽して、自分の身上を働きかけて来たのだから、その意気を買ってやるのもまた男ではないか。必ずしも清浄潔白とは言えない身で、変なところへ意地を張って来てみたのが、おかしい。なお一皮の底を剥いで見ると、あの種類の女には毒がある、毒というのは誘惑の毒ではない、体毒がある、つまり悪い病気がある、それを内心怖れていじけたのか――何にしても、女は素肌で来ているのに、甲冑をかぶり通して来た自分が卑怯未練だ!
 兵馬は、その思いに迫られてみると、手の中の珠《たま》を落して来たような焦燥を感じたり、宝かなにか知らないが、溢《あふ》れきった蔵の中に入って手を空しうして出て来た、といったような物足らなさが、ひしひしと心に食い入って、もう一ぺん引返して、女を見てやろうかという気分にさえ襲われたが、二十里も来て、ばかばかしい、そんなことが――と冷笑してみたりしたのですが、結局、高山以来の山の道中の、女のもてなしが、ここへ来て、ひしひしと体あたりを食《くら》い、あのとき突返した自分の受身が、今このところで、たじたじとなって、ああ、つまらない、なんだか世の中が味気ない気持になったよ――歴史のことも、英雄のことも、兵馬の念頭から消滅して、呆然《ぼうぜん》と立ち尽した越前と近江の国境――そこで兵馬は後ろ髪を引かれている。
 行こか越前、帰ろか近江、ここが思案の柳ヶ瀬の峠――
 そこへ、行手、すなわち近江路の方から、高らかに詩を吟じて上り来《きた》る人声が起りました。

         五十九

 兵馬が待つ心地で立っていると、彼方《かなた》から上って来るのは、たった一つの笠、しかも背の低い、ずんぐりした書生体の青年であることが、一目見てはっきりとしました。
 近づき来《きた》るをよく見れば、白い飛白《かすり》の単衣《ひとえ》をたった一枚着て、よれよれになった小倉の袴をはき、頭には饅頭笠をかぶり、素足に草鞋《わらじ》をつけ、でも、刀は帯びているが、それ以外には旅の仕度もしてなければ、荷になるほどのものも持ってはいない。肩から一つ、ズックのカバンのようなものを釣り下げているばかり。
 そこで、兵馬と行き逢いました。人跡の稀れな山中の出会いですから、おたがいに言葉をかけ合うのが当然です。
「こんにちは――」
と先方が、笠をかたげてまず兵馬に挨拶をしかけましたから、兵馬も、
「やあ」
と言いました。先方は第二句をつづける代りに、兵馬の立っているすぐ足許《あしもと》へ、どっかりと腰を卸してしまい、
「幸いに、好天気ですな」
 存外、世間慣れた口の利《き》きぶり。兵馬は一見して、これは遊学の書生だと思いました。同じ書生にしても、丸山勇仙のように世間ずれがし過ぎたのではなく、相当度胸があるが、一面、極めてウブな青年だと思いました。
「ドコにおいでです」
と兵馬から尋ねられて、
「これから、越前の福井へ帰るです」
「ドコからおいで?」
「近江の胆吹山《いぶきやま》から参りました」
 越前福井へ行くというのは常道だが、胆吹山から来たというのが少し変です。
「胆吹山から――」
 兵馬も不審を持ちながら、この青年を相手に少し話して行こうと、自分も路傍のほどよき木の根に腰を卸して、青年と押並んで話しよい地点を保つと、青年が、
「胆吹山で、少し働いておりましたが、これからひとまず故郷の越前福井へ帰ってみようと思います」
「胆吹山で何を働いておいででした」
と兵馬がたずねたのは、最初から胆吹山というのが気にかかったからです。この青年は山稼《やまかせ》ぎをすべき青年ではないし、山稼ぎをして来たとも思われない。神戸から来た、大阪から来た、彦根から来たといえば、そのまま受取れるが、山から来たということが、そぐわない思いでした。それを青年は、御尤《ごもっと》もと言わぬばかりに、問われない部分まで、差出でて兵馬に語り聞かせます――
「御存じでございましょうが、胆吹山にこのごろ、例の上平館《かみひらやかた》の開墾が起りまして、そこに一種の理想を抱く修行者――同志が集まって、一王国の生活を企てている、そういう風説《うわさ》を聞きましたものですから、僕は越前の福井からかけつけて、右の団体へ加入してみたんです。僕のは、必ずしも、あの団体の主義理想に共鳴したというわけではありません、本当を言うと英学がやりたいんです。僕は非常に外国語をやりたいんでしてね、それも、今はもう蘭学ではいけないそうです、蘭学は古いんだそうですから、ぜひ英学の方をやりたいと思って、諸所に師匠をたずねましたが、どうも評判倒れが多くて、本当に英学の出来る学者というのが少ないんでしてな、困っておりました。ところが、聞くところによりますと、胆吹の開墾王国の中には、すばらしい語学の達者な人が隠れている、そのほか、あの団体の中には、世を拗《す》ねたエライ人物が隠れて加わっているという風説を聞きましたものですから、僕は故郷を飛び出して参加したんですが、どうも、僕の頭では、あの人たちの行動がよく呑込めません。しかしまあ、体力相当に、開墾の方もやれば、炭焼もやり、帳面つけなども致しましてな、留まっているうちに、その英学の方は、御当人は出来ないけれども、いい先生を紹介してやると言ってくれた先輩がありましてな、その人から紹介状をもらいました。その先生は江戸におられるのです、当時、英学にかけては、その右に出でる人はあるまいとのことですが、なんにしても身分が旗本のいいところですから、なかなか入門がかなうかどうか、面会すら許されるかどうかわからないが、とにかく、胆吹山の先輩に紹介状をもらいましたものですから、これからまた故郷の福井へ帰って、旅費を工面《くめん》して、江戸へ向って出直すつもりで、それで、胆吹山を立って参ったんです」
 青年は能弁に、すらすらと、問われない部分まで明快に話し出したものですから、その物語りだけで
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