、すっかり、その過ぎ越しも、行く末も、明瞭に諒解がつき、全くこの青年が、好学に燃える一青年以外の何者でもないということがわかりました。
ただ、よくわからないのは、その胆吹山に巣を食うという一味の開墾者の団体の性質のことですが、それは兵馬として詳しく問いただすべきことではない。もう一つ――江戸で有数な英学者、身分は旗本――というようなことも、離して別々に持ち出されてみると、兵馬も思い当るところがあったに相違ないが、青年の志望を主として聞いていたものですから、兵馬としての受け答えは、この好学の青年の志望を讃して、励ましてやることにはじまりました。
「それは結構な志だ、しっかりやり給え、江戸はなかなか誘惑が多いからな」
江戸は誘惑が多いことなんどを、特に附け加えて、はじめて兵馬も自分がテレ加減になっていると、今度は青年の方で反問的に、
「あなたは、ドコからおいでですか」
とたずねました。兵馬が、
「拙者は越前福井から来たのですが……」
「へえ、あなたは福井から、僕は福井へ帰るんですが、僕は本来、福井のものが福井へ帰るまでなんですが、あなたは福井のお方ではござんすまいね」
「そうです、拙者は旅から旅を廻って歩くものです――」
「どちらが御生国なんですか」
「まあ、江戸ですね」
「江戸ですか、それは懐かしいです」
青年が懐かしいというのは、どういう意味かよくわからないが、多分、この青年には過去に於て江戸を懐かしがる何物もないけれど、これからの目的地として、懐かしがるべき理由が大いにあるというのでしょう。
六十
この青年と、かなりの長い談話をした後に、兵馬は、いざ別れようとして、
「君、福井へ帰るなら、一つ頼みたいことがある」
「何ですか、喜んで頼まれます」
「実はねえ」
と兵馬は、何と思ったか、自分のかぶっていた一文字の菅笠《すげがさ》を取って、
「申し兼ねるが、君のその笠と、僕のこの笠と取換えていただけまいか」
「え、僕のこのみすぼらしい饅頭笠と、あなたのその菅笠と、無条件交換ですと、僕の方が大きに儲《もう》かります、それでいいですか」
「いいですとも、君、ひとつこの笠をかぶって福井へ帰って下さい、僕は君の笠をかぶって近江へ行きたい」
「傾蓋《けいがい》の志ってやつですか」
「いや、そういうわけでもない、必ずしも君に対する志というわけではないが、ところで、もう一つ、いま、拙者がその笠へ一筆書きますから、君はそれをかぶって福井へ着いたならば、その笠をそっくりひとつ、僕の名ざすところへ届けてもらいたいのだ」
「笠だけを届ければいいんですか、おやすいことです、広くもあらぬ福井の城下ですから、所番地さえわかっておりますれば」
「実は、福井の堺町というのです」
「堺町、知ってます」
「その堺町で、うつの家――福松というところへ、この笠を届けてもらいたい」
「堺町で、うつのや福松君ですか、よろしいです、番地はなくてもわかりましょう」
と心やすく引受けた。その語気によって察すると、この青年は、相手を男性と見ているらしい。男性と見ていないまでも、女性であり、ああした女だとは、夢にも当りをつけていない。実は、兵馬も、思いきってうつの家福松の名を言った時に、青年から一応、疑惑の眼を向けられての上で、反問をされるものと期待して、いささかテレて言い出したのですが、先方は、そんな思惑は微塵《みじん》もなく、福松君ですか、福松君ならば――どこまでも、相手を男性に置いて疑うことをしないから、済まないが、むしろ勿怪《もっけ》の幸いだというような気分にもなって、兵馬としては図々しく、
「うつの家の福松と言えば、すぐにわかることになっているのですが、では、ひとつお願い申しましょうかな」
と言って、自分のかぶって来た一文字の笠を取り直しました。そうして、矢立を取り出して、墨汁を含ませて、何をかしばらく一思案。それから、さらさらと笠の内側の一部分へ、
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思君不見下渝州
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さらさらと認《したた》めて投げ出したものですから、その筆のあとを、青年がしげしげと見て、
「ははあ、李白ですな、唐詩選にあります」
「いや、どうも、まずいもので」
青年は、うまいとも拙《まず》いとも言ったのではないのに、兵馬は自分でテレて、つかぬ弁解をしていると、
「いや、結構です、君を思えども見ず、渝州《ゆしゅう》に下る――思われた君というのが、つまり、そのうつのやの福松君ですな、福井の城下で、あなたとお別れになって、友情綿々、ここ越前と近江の国境《くにざかい》に来て、なお君を思うの情に堪えやらず、笠を贈って、その旅情を留めるというのは、嬉しい心意気です、友人としてこれ以上の感謝はありますまい、この使命、僕自身の事のように嬉しいです、たしかに引受けました」
それと知れば、ただではこの使はつとまりませんよ、何ぞ奢《おご》りなさい、とでも嬲《なぶ》りかけらるべきところを、この好青年は、悉《ことごと》く好意に受取ってしまったものですから、兵馬はいよいよ済むような、済まないような気分に迫られたが、今更こうなっては打明けもならず、また、ブチまけてみるがほどのことでもないと、
「では、どうぞ、お頼みします、その代りに君の笠を貸して下さい」
「竹の饅頭笠《まんじゅうがさ》で、いやはや、御粗末なもので失礼ですが、お言葉に従いまして」
青年は、自分のかぶって来た饅頭笠を改めて兵馬に提出したが、これはなんらの文字を書こうとも言わず、それはまた提灯骨《ちょうちんぼね》で通してあるから墨の乗る余地もないもの。
これが縁で袖摺り合う間、二人は十年の知己の気分になって、ここで、おたがいに携帯の弁当を開き、水筒の水を啜《すす》って、会談多時でありましたが、青年は食事中に、歴史的知識を兵馬に授けました、
「ここです、この場所が、柴田勝家じだんだ[#「じだんだ」に傍点]の石というのです、織田信長が本能寺で明智のために殺された時、柴田勝家は北軍の大将として、佐々、前田らの諸将を率いて、越後の上杉と戦っていたのですが、変を聞いて軍を部将に托して置いて、急ぎ都をさして走り帰ったのですが、この、柳ヶ瀬のこの地点へ来ると、もはや羽柴秀吉が中国から攻め上って、山崎の一戦に明智を打滅ぼしたという報告を、ここで受取ったものですから、柴田が、猿面郎にしてやられたりと、地団駄を踏んだという言いつたえがあるのです」
「そうでしたか。してみるとこの地は、勝家にとってはなかなか恨みの多いところだ、万一、あの人が中原に近いところに領土を持っていたら、秀吉をして名を成さしめるようなことはなかったに相違ない」
「それはそうに違いないと僕も思いますが、また必ずしも、そうと断言のできないものもありますよ。僕は、これでもやっぱり北人ですから、勝家|贔屓《びいき》はやむを得ませんが、なにしろ、相手が秀吉ですからなあ。徳川家康でさえ、あの時に京畿の間にいたんですが、手も足も出ない、それを、あの秀吉が疾風迅雷で中国からかけつけて、ぴたぴたと形《かた》をつけてしまったんですからな、あれは天才ですから」
「しかし、あの時の家康は裸でしたから、手も足も出ないのが当然だが、勝家が近畿にいたら、あんなことはありますまい」
こんなことを語り合って、いざや両々、これでお別れという時に、青年が、
「僕、お別れに詩を吟じましょう、今のその渝州《ゆしゅう》に下るを一つ……」
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峨眉《がび》山月、半輪ノ秋
影ハ平羌《へいきやう》、江水ニ入《い》ツテ流ル
夜、清渓ヲ発シテ三峡《さんけふ》ニ向フ
君ヲ思ヘドモ見ズ渝州ニ下ル
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青年は高らかに、その詩を吟じ終ったが、自分ながら感興が乗ったと見えて、
「もう一つ――陽関三畳をやります」
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渭城《ゐじやう》の朝雨、軽塵を※[#「さんずい+邑」、第3水準1−86−72]《うる》ほす
客舎青々《かくしゃせいせい》、柳色新たなり
君に勧む、更に尽せよ一杯の酒
西の方、陽関を出づれば故人無からん
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「無からん、無からん、故人無からん」を三度繰返された時、誰もする別離の詩ではあるけれど、今日の兵馬の魂がぞっこんおののくを覚えました。
さて、と二人は立ち上りました。
ここで二人は、近江と越前へ、おたがいにまだ手に持って、頭に載せない取交わせの笠を手に振りながら、姿の見えなくなるまで、さらばさらばと振返り振返り別れました。
別れた後、兵馬は、この好青年にあらぬ使命を持たせたものだ、福井へいたりついて、尋ねる主を発見した時、この青年の驚異のほどが思われる。驚異はいいが、からかわれたと憤慨して、相手に当り散らされても困る。だが、あんな磊落《らいらく》な青年だから、相手が相手と知っても、一時はおやと驚くかも知れないが、すぐに打ちとけてしまって、さっぱりとあれを渡して、あの女からお礼に御馳走でもされて、かえって痛み入るというところだろう――とにかく、兵馬としては座興でもなし、遊戯気分でもなし、無邪気の青年をからかうような気分は少しもなく、むしろ、何か一片の真情が、脈々として心琴をうつものがある。
「忘れられない」
うつつ心に、こう言って、近江へ下る足がたどたどしい。
ほどなく近江へ出て、中の郷、木の本、はや見から長浜へ――長浜へ来て、兵馬は計らずも見のがせないものを認めてしまいました。
それは、長浜の岸を飛ぶ一人の急飛脚――ただの飛脚ならばなんでもないが、その足どり、身のこなし、たしかに見覚えのある、それは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というやくざ者に相違ないということを、確認したからです。
その瞬間に、万事を忘れて、
「あいつが来ているからには、何か事がある」
自分の胸へ、何とはつかず、ぴーんと来るものがありました。
六十一
神尾主膳は相変らず、勝麟太郎《かつりんたろう》の父、夢酔道人の「夢酔独言」に読み耽《ふけ》っている。
神尾をして、かくも一人の自叙伝に読み耽らしむる所以《ゆえん》のものは、かりに理由を挙げてみると、人間、自分で自分のことを書くというものは、容易に似て容易でない。第一、人間というやつは、自分で自分を知り過ぎるか、そうでなければ、知らな過ぎるものである。自分で自分を知り過ぎる奴は、自分を法外に軽蔑したり、そうでなければ自暴《やけ》に安売りをする。自分で自分を知らな過ぎる奴は、また途方もなく自分を買いかぶるか、そうでなければ鼻持ちもならないほど、自分を修飾したがる。
よく世間には、偽らずに自分を写した、なんぞというけれど、眼の深い奴から篤《とく》と見定められた日には、みんなこの四つのほかを出でない――極度に自分を買いかぶっている奴と、無茶に自分を軽蔑したがる奴、それから自暴に自分の安売りをする奴と、イヤに自分をおめかしをする奴――自分で自分をうつすと、たいていはこの四つのいずれにか属するか、或いは四つのものがそれぞれ混入した悪臭のないという奴はないのが、このおやじに限って、どうやらこの四つを踏み越えているのが乙だ。あえて自分をエラがるわけでもないし、さりとて乞食にまで落ちても、落ち過ぎたとも思っていないようだ。自分を軽蔑しながら、軽蔑していない。おめかしをして見せるなんぞという気は、まず微塵もないと言ってよかろう。
神尾のような人間から見ると、自分が、あらゆる不良のかたまりでありながら、人のアラには至って敏感な感覚にひっかかると、及第する奴はまず一人もない。大物ぶる奴、殿様ぶる奴、忠義ぶる奴、君子ぶる奴、志士ぶる奴、江戸っ子がる奴、通人めかす奴……神尾にあっては一たまりもない。新井白石の折焚柴《おりたくしば》を読ませても、藤田東湖の常陸帯《ひたちおび》を読ませても、神尾にとっては一笑の料《しろ》でしかあるに過ぎないけれど、夢酔道人の「夢酔独言」ばっかりは、こいつ話せる! いずれにしても、神尾をして夢中に読み進ましめる
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