やれても、臣下が肯《がえんず》るということはあるまい、夢だ、空想だ、策士の策倒れだよ」
「ところが、存外、それが手ごたえがありそうだということだ、幕府も大いに意が動いているらしいということだ、なんにしても、もはや徳川幕府ではこの時局担当の任に堪え得られない、よき転換の方法があれば、早く転換するのが賢いという見通しは、こと今日に至っては、いかに鈍感なりといえども、気がついていないはずはあるまい、よって、存外、土佐の建策が成功するかもしれない」
「そんなことは痴人の夢だよ、天下の幕府でなく、一藩の大名にしてからが、藩政が行詰ったから大名をやめます、藩主の地位を奉還しますとは誰にも言えまい、取るに足らぬ一家にしたってそうじゃないか、みすみす家をつぶすということが、一家の主人としても、オイソレとはやれない、幕府の無条件大政奉還などということは、いくら時勢が行詰ったって、これは夢だよ、それこそ書生の空論だよ、今の時勢だから、書生の空論も、一藩の輿論《よろん》を制するということはできない限りもあるまいが、天下の大権を動かそうなどとは、それは痴人の夢だ」
「ところが、存外、痴人の夢でないということを、僕はある方面から確聞した、それに大政奉還は徳川の家をつぶす所以《ゆえん》でなく、これを活かす最も有効の手段だということなんだ、そこに、徳川家と土佐とには、ある黙契が通っているらしい、大政奉還将軍職辞退の名を取って、事実、新政体の主座には、やっぱり慶喜を置く、そうして天下を動揺せしめずして新政体を作る、というのが眼目になっているらしいから、そこで、幕府も相当乗り気になっているらしい、つまり名を捨てて実を取る、名を捨てることによって時代の人心を緩和する、実を取ることによって、やっぱり徳川家が組織の主班である、多少、末梢《まっしょう》のところには動揺転換はあるにしても、根幹は変らないで、しかも、効を奏すれば、時代の陰悪な空気をこれで一掃することができる、至極の妙案だと、乗り気になって動き出したものが幕府側にもあるということだ」
「ふーん、してみると、坂本や後藤一輩の書生空論によって、天下の大勢が急角度の転換をする、万一、それが成功したら、また一つの見物《みもの》には相違ないが、同時に徳川家を擁する土佐の勢力というものが、俄然として頭をもたげて来るということになる、慶喜を総裁として、容堂が副総裁ということにでもなるのか」
「いや、それが成功したからとて、いちずに土佐が時を得るというわけには参るまい」
「失敗しても、土佐は得るところがあって、失うところはないのだ」
「だが、諸君、心配し給うな、そんな改革が、仮りに実行されるとしてみても、成功するはずがないから、心配し給うな」
「どうして」
「たとえばだ、君たち、ここに拙者が坐ったままでいて、そうして、この畳の表替えをしろと言ったところで、それはできまい、畳の表替えをしようというには、そこに坐っている者から座を立たねばならぬ、坐っている奴が、座を立つことをおっくう[#「おっくう」に傍点]がって、このまま表替えをしろと言ったってそりゃあ無理だ、家の建替えや根つぎにしてからがそうだろう、天下のことに於てはなおさらだ、攻撃をする、改造をするという時に、中に人間共が旧態依然としてのさばっていて、それで改造や改築ができるか、現状維持をやりながら維新革新をやろうとしたって、そりゃ無理だよ、そんなことができるくらいなら、歴史の上に血は流れないよ、そんなおめでたい時勢というものは、いつの世にもないよ」
こういった反駁《はんばく》が、有力な確信を以て一方から叫び出されると、さきに土佐論を演述した壮士が躍起となって、
「だから、徳川はいったん大政を奉還し、慶喜は将軍職を去り、諸大名は国主城主の地位を捨てて藩知事となる――そこにまず現状破壊を見て、しかして革新を断行しようというのだ」
「それそれ、それがいかにも見え透いた手品だよ、再び言うと、今の畳の表替えだ、この広間なら広間全体の畳の表替えをやろうとするには、この中にいるすべての人と、調度とが一旦、皆の座を去らなければならないのだ、君の言う土佐案なるものは、去らずして去った身ぶりをする、つまり、こちらにいたものがあちらに変り、あちらにいた奴がこっちへ来る、座を去るのではない、座を置き換えるのだ、前の人は前のところにいないけれども、同じ座敷の他のいずれかの畳に坐っていることは同じだ、単に人目をくらますために、人を置き換えただけで、それが畳を換えてくれと要求する朝三暮四《ちょうさんぼし》のお笑い草に過ぎない」
「そうだ、その通りだ」
と共鳴する者がある。反駁者の気勢が一層加わって、
「維新とか、革新とかいうことは、旧来の第一線が全く去って、新進の新人物が全面的に進出して主力を占めるということに於て、はじめて成されたのだ――断然、徳川ではいかん、徳川を去らしめて、全面的な新勢力に革新をやらせなけりゃ意味を成さん、それがために、相当の摩擦を示し、たとえ多少の血を流すことがあっても、それを回避しては革新は成らぬ、血を以て歴史を彩《いろど》ることは、つとめて避けなけりゃならんが、血を流すことを回避して、革新の時機を失する不幸に比ぶれば、それはむしろ言うに足らんのだ」
四十八
これらの連中の高談放言を別にして、その晩、この月心院の一間から姿を消した机竜之助。
その格闘史としては、古今無類の七条油小路の現場へ駈けつけて、そのいずれかの一方へ助太刀《すけだち》をするかと思えばそうではない。また乱刃のあとへなり先へなり廻って、後見の気取りで逐一、その剣、太刀の音の使いわけでも聞いて甘心するつもりかと思えば、そうでもない。
この男の腕立てとして、もうそういう油の気の多いところは向かない。猫を一匹つかみ殺して、虫も殺さぬ娘を一人絶え入らせるだけの程度がせいぜいで、その前の晩か、後の晩かに、さほどの乱刃が月光の下に行われた京の天地とは……およそ方角の異った方へ、ひとり朧《おぼ》ろげな足どりをして、しょんぼりと、月夜の下に見えつ隠れつして、ふらふらと辿《たど》り行くのは、三条から白川橋、東海道の本筋の夜の道、蹴上《けあげ》、千本松、日岡《ひのおか》、やがて山科《やましな》。
多分、関の清水の大谷風呂あたりへ、足もとの暗いうちに辿りついて、空虚極まる疲労を休めようとの段取り。
かくて山科の広野原――へ来たが、まだ月光|酣《たけな》わなる深夜なのです。その広野原へ来て――山科には特に広野原というべきところはないけれども、彼のさまよう世界のいずこも広野原。そこへ来るとふらりふらり辿《たど》って来た足を、ものうげに薄野原《すすきのはら》の中にとどめて、ふっと後ろを顧みると、東山を打越えて見透し、島原の灯が紅《あか》い。
山科の地点に立って島原の灯を見るということは有り得ないことだが、ありありと島原傾城町の灯が紅く、京の一方の天を燃やしているその灯に、名残《なご》りが惜しまれて、後朝《きぬぎぬ》の思いに後ろ髪を引かれたのかと思うと、必ずしもそうでもないようです。
またしても、人を待つものらしい。行きには田中新兵衛あたりの人の気配を感じたが、戻りにもまたこのあたりで、どうやら、己《おの》れを見かけて慕い寄る人の気配を感じたものらしい。さればこそ待っている。
たしかに、この男の勘の鋭さも昂進してきました。案の如く、人が後からついて来るのです。それは今に始まったことではないので、そもそも月心院の庫裡《くり》を抜け出した時から、竜之助のあとをつけて来た人影なのです。いや、それよりも、もっと前、島原の廓《くるわ》を出た時から、三条大橋で待つことを要求された時から、影の形のようについて来た覚えのある人影。
「へ、へ、轟《とどろき》の源松でございます」
先方はもうつい鼻の先までやって来ていて、こちらから咎《とが》められるを待たず、先方から名乗って出たのは先手を打ったつもりらしい。
「多分、そうだろうと思った、お前に見せてやりたいものがある、それ故、ここで待っていたのだ」
「へ、へ、何でございますか、わざわざ、わっしに見せてえとおっしゃいますのは」
「それそれ、これだ、これだ、これを見ろ」
竜之助から指さされたので轟の源松が、この指さされた藪《やぶ》の中を見ますと、
「あっ!」
と言って、思わずたじたじとなりました。轟の源松とも言われる捕方《とりかた》の功の者がおどろいたのだから、尋常の見物《みもの》ではありません。
四十九
すすき尾花の山科原のまんなかに、竹の柱を三本立てて、その上に人間の生首が一つ梟《さら》してあるのです。
と言ったところで今時、生首を見せられたからといって、単にそれだけで腰を抜かすようでは、源松の職はつとまらない。源松が驚いたのは、その梟し首が自分の首ではないかと思ったからです。宇治山田の米友も、生きながら梟しにかけられたことはあるが、あれは正式の公法によって処分されたものですから、見るほどの人が見ていい気持はしなかったけれども、その処刑というものは、形式が異法だと思うものはありませんでしたが、これは変則です。いかに重罪極悪非道の者といえども、こういう惨酷極まる梟され方というものはない。
まず、三本の竹の柱を、いとも無雑作《むぞうさ》に押立てて、その上に人間の生首一つ、その三本の竹の柱の下に、丸裸にした胴体の下腹と胴中を男帯で結えた上に、首だけは竹の上に置かれたように出ているが、実は、首と両腕とを下で細引で結んで釣り下げてある。細引はまだ新しくて、ゆとりがたっぷりあるのがブラ下がって地に曳《ひ》いている。
ばっさりと、腕の利いたのに切ってもらい、それを体《てい》よく台の上へのっけてあればまだ見られるというものだが、斬られていない首が、醜体を極めた胴中そのものと共に、ダラしなく梟しっぱなしてある。嬲《なぶ》り殺《ごろ》しにした上に、嬲り梟しというものに挙げられているので、轟の源松が、あっ! と言ってそれを見直した時に、机竜之助が、淋しげに微笑を含んで言いました。
「どうだ、お前の面《かお》に似てはいないか」
「左様でございますねえ」
源松が、なるほど、そう言われれば、その生首は、見ているうちに、自分の面に似てくるような思いがしてなりません。寒気がゾッと襲うて来て、足もとがわなないてくる、それをじっと踏み締めて、見上げ見下ろすと、つい今まで気がつかなかったが、捨札がその首の傍らにある。
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「右之者、先年より島田左兵衛尉へ隠従致し、種々|姦謀《かんぼう》の手伝ひ致し、あまつさへ、戊午年以来種々姦吏の徒に心を合はせ、諸忠士の面々を苦痛致させ、非分の賞金を貪《むさぼ》り、その上、島田所持致し候不正の金を預かり、過分の利息を漁し、近来に至り候とても様々の姦計を相巧み、時勢一新の妨げに相成候間、此《かく》の如く誅戮《ちゆうりく》を加へ、死体引捨にいたし候、同人死後に至り、右金子借用の者は、決して返弁に及ばず候、且又、其後とても、文吉同様の所業働き候者|有之《これあり》候はば、高下に拘らず、臨時誅戮せしむべき者也」
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「旦那、わかりました、こりゃ、わっしの首じゃございません、猿の首でございますよ」
「猿! いやあ、猿じゃない、やっぱり人間だろう」
「いえ、猿と申しましても、野猿坊《えてぼう》のことじゃあございません、目明しの猿の文吉て奴で、ずいぶん鳴らしたもんでございますが、こんなことにならなけりゃいいと思いましたが、果してこうなるたあ因果な話で、いささかかわいそうでもございますよ――まあ、お聞き下さい、こいつの素姓というのは、こういうわけなんです」
と轟の源松は、不意に見せられた生首が自分の首でなくて仕合せ、その素姓がすっかりわかってみると、持前の度胸を取り直して、今度は逆に、説法する気になったものらしい。
「こいつはねえ、上方者《かみがたもん》なんです、京都のみぞろというところに生れ
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