が、かくまで犬を愛するということは、犬にかけての天才であってみると不思議はないようなものだが、相手方の犬が、米友を一見しただけで、こうにも懐かしがるということは解《げ》せない。
本来、沈毅《ちんき》にして、忠実なる犬であればあるほど、人見知りをすべきはずのものである。真に沈毅にして、勇敢にして、忠実なる犬は、二人の主というものを知らない。主人以外の人の与うる物を食わない。主人以外の人には一指を触るることを許さないはずのものであるべきに、この犬――しかもただ犬でないと、最初から米友が極《きわ》めをつけてかかった非凡な犬が、こうまで一見の人になつき慕うとは、慕われてかえって物足りない。
人見知りをしない犬、節操を解しない犬、忠義ということを知らぬ犬、勇気なき犬、公娼《こうしょう》の如き犬ならば知らぬこと、米友ほどのものが、あらかじめ極めをつけた犬にしてこのことあるは何が故だ。
そういうことを考慮に置かず、ただ見ていれば、何のことはない、その非凡犬と、小男とが、必死になって、組んずほぐれつしているとしか見えない。血こそ流さないが、血みどろで格闘しているとしか思われない。
ことに、この
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