せん。不吉な夜鳴きでない限り、鶏の鳴く音は常態でありますけれども、犬の吠ゆるは非常態でなければならない。
そこで、この屋敷に相当|逞《たくま》しい犬が飼育されていることもわかり、その畜犬が物に触れて、いま声を立てたのだということもわかりました。犬が物に感じたというその物は、人間以外の何物でもありますまい。つまり、不時に、思いがけぬ人の気配《けはい》を感じたればこそ、畜犬が、主家の防備と、自己保存の本能のために叫びを立てたに相違ない。それを勘の強い弁信が聞き洩《も》らすはずはありません。
「犬がおりますな」
「ええ、強い犬がいます」
「誰か参りました」
「不破さんでしょう」
「いいえ、別の人です」
つついて、犬が立てつづけに吠える、その声は尋常の犬と違って、腹から出る音声を持っていて、この座の人の丹田にこたえるのみならず、おそらく、この静かな時、十町を離れたところでらくに聞き取れるほどの音量が、超感覚の弁信の耳に、いよいよこたえないはずはありません。
「変っておりますな、あの犬は、ただ犬ではありません」
「ただの犬ではありませんよ」
非凡なる犬といえば誰しも、ムク犬を思い出すが、ム
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