お関所をはじめ、米友にはいくらもこれが出入りの体験がある。中仙道に至っては、道庵先生の従者として具《つぶ》さに、その幾つかを経歴して来たのだが、ついいま参詣した蝉丸神社《せみまるじんじゃ》というのも、あの辺がれっき[#「れっき」に傍点]とした古来の関だと聞いて来たが、別段、役人がいて手形を出せとも言わなかった。表向には逢坂の関というのがあって、その裏に小関がある。自分たちは小関越えをして来て、それから少しあと戻りをして、蝉丸神社へ参詣したと覚えているが、ドコをどう廻っても、お関所らしい役所はなし、手形を出せという役人もいなかったが、それではここがお関所なんだな、いわゆる逢坂の関というやつなんだな、それにしても、お関所にしては屋敷は広いが、表がかりが寒頂来《かんちょうらい》だ、お関所も時勢につれて、身代が左前になったから、こっちの方へ引込んで、隠居仕事に関代《せきだい》をかせいでいるのかも知れない――などと、米友が予想しながら、なお暫《しばら》く弁信の為さんように任せて待っていると、やがて、中から戸を押す物音があって、紙燭《しそく》を手にかざして、
「弁信殿か、よく無事で見えられたな」
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