いて、秀吉がひそかに伴い帰って、大坂城の奥ふかく隠して置いたという説がある。それは確かな説ではないが、浅井の二女を獲《え》ただけは否《いな》み難い史上の事実で、その一人は今いう淀君、他の一人は徳川二代秀忠の室となった光源院。
そういう歴史口碑は、誰も知っている。兵馬もそれを知って、今こうして目《ま》のあたり、その場に臨んでみると、英雄だの美人だのという歴史の色どりが、幻燈のように頭の中にうつって来る。お市の方や、淀君や、これを得たものの勝利のほほ笑みと、これを失うものの敗北の悲哀――いわゆる歴史というものも、人物というものも、色に始まり色に終る、といったような感慨も起って来る。爾来《じらい》、この池を天魔ヶ池と呼ぶことになったらしいのは、天下到るところに人気《にんき》嘖々《さくさく》たる古今の英雄秀吉も、この地へ来ては、まさしく天魔に相違ない。
本来、柴田勝家という人が、猛将の名はあるけれども、悪人の誹《そし》りは残していない。織田の宿将で、充分に群雄を抑えるの貫禄を持っていたし、正面に争わせれば、あえて秀吉といえども遜色《そんしょく》のある将軍ではなかったけれども、いかにせん、地
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