七
二人の立っている地点から見ると、後ろは逢坂の関から比良、比叡へ続く峯つづき、象ヶ鼻、接心谷、前は音羽山、東山、左へやや遠く伏見の稲荷山、桃山――その間の山科盆地をさまよっている。京の中心へも程遠からぬところ、東山を打貫きさえすれば、鳥羽も、伏見も、つい目と鼻の先にはなっているが、かくまではっきり軍歌の歌詞までが受取れるほどの地点とは思われぬ。だがこの場合、弁信の錯覚があるとないとにかかわらず、米友は一応その説明に満足し、また満足するよりほかに地理の観念を持たない身は、それに聴従するよりほかはなく、相ついで歩いているが、関の明神を出てからでも、もういく時にもなるのだから、相当道のりも捗取《はかど》っていなければならないのに、離れて第三者から見ていると、「山科光仙林」の提灯が同じところを行きつ戻りつしている。そうでなければ、グルグルめぐりをしているとしか思われない。さては京に入る前にドコぞ立寄るところでもあって、戸別《こべつ》家さがしでもやっているのか知らん。とにかく、二人は山科谷に彷徨《ほうこう》して、京へ直入の足は甚《はなは》だ怪しくなっているのですが、その間に
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