まするにせよ、家々の定紋のついた提灯に火を入れることが礼儀でございまして、礼儀は即ち用心でございます」
「そういうわけなら、大谷風呂で借りた提灯を点《つ》けて歩くとしよう」
 そこで米友が、腰にくくりつけていた一張の弓張提灯を取りおろして、丁々《ちょうちょう》と点火にとりかかりましたが、手器用に火がつくと、蝋燭《ろうそく》が燃え出し、鎖を引くと蛇腹《じゃばら》が現われて、表には桐の紋、その下に「山科光仙林」の五字が油墨あざやかに現われました。

         六

 提灯に火をつけたのも、その持役も、同じく米友でありましたけれども、この提灯持は、世間常例の如く先に立つことをせず、一足あとから、例によってはったはったと歩いて行きます。
 如法暗夜ではない、如法朧夜といったような東海道の上り口を「山科光仙林」の提灯が、ゆったりゆったりと渡って行く。
 逢坂、長良《ながら》を後ろにして、宇治、東山を前にした山科谷。しばらくすると米友が、はったと足の歩みをとどめて、
「やあ、何か唄が聞えるぞ」
と、耳朶《みみたぶ》の後ろから手笠をもって引立てて見ました。
「そうですね」
 米友の耳に入るほ
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