像した通り。ただし、この想像は、一人の酔客があって、爛酔して譫語《うわごと》を発しているという想像だけで、その客の人相骨柄というようなものは、雪洞の光を待って、はじめて明らかなるを得たのです。奔馬の紋《もん》のついた真白い着物を着た、想像よりはずっと痩形《やせがた》だが、長身の方で、そうして髪は月代《さかやき》で蔽《おお》われているが、面《かお》の色は蒼《あお》いほど白い。爛酔という想像から、熟柿《じゅくし》のような息を吹き、同時に面ざしも酒ぶとりのした樽柿《たるがき》のような赤味を想い浮べてみると案外にも、これは蛍を欺かんばかりの蒼白さなのです。それで、月代の乱れ髪の髪の毛も相当に黒いのですから、その蒼白みもよけいに勝《まさ》って見え、それが眼をつぶって、とろんとした酔眼を爛々としてみはっているというものでなく、全く眼をつぶって、両の掌をぼんの凹《くぼ》あたりに当てて組合わせながら、天井を仰いで泡を吹いているのです。
もとより、杯盤もなければ酒器もない。褥《しとね》も与えられていなければ、煙草盆もあてがわれてはいない。無人の室へひとり転がされてあるだけのものなのです。
村正どんは案外の気色につまされて、しばらく無言で雪洞を上げたまま見つめていると、その袂《たもと》の下からのぞき込んだ雛妓共が、また黙って、その室内を見つめたままでいる。怖いものの正体が、そこに現存していることで、朝霧は自分が臆病の幻を笑われた不名誉だけは取戻したが、ここにひとり横たわる人の姿を見て、また何となしに、恐怖か凄みかに打たれて、沈黙して、村正どんの袂の下から息をこらして見ているだけです。酔客は、黙っている時は死んでいる人としか見えない、死んでここへ置放しにされた人相としか見えないくらいですから、
「殺されてるの?」
「死んでるの?」
雛妓《こども》たちが、やっと、相顧みてささやき合うたのも無理のないところでしたが、その死人が、やがてまた口を利《き》き出しました、
「斎藤一はいないか、伊藤甲子太郎はどうした、山崎――君たち、おれを盛りつぶして、ひとり置きっぱなしはヒドいじゃないか、来ないか、早く出て来て介抱しないか、酔った、酔った、こんなに酔ったことは珍しい、生れてはじめての酔い方じゃ」
仰向けになったまま、紅霓《こうげい》を吹いては囈語《たわごと》を吐いている。その囈語を小耳にとめてよく聞き、それから改めて、この室内を篤《とく》と見定めて、村正どんは相当、思い当るところがありました。
爛酔して寝ている人は、枕許に大小を置いている。その提《さ》げ緒《お》がかすかに肘《ひじ》の方に脈を引いている。それを見るとこの客は、帯刀のままに登楼した客である。この地の揚屋では帯刀のまま席に通ることは許されない。玄関に関所があって、婢共《おんなども》が控えて心得た受取り方で、いちいちこれを保管してからでないと、各室の席には通されない。それは貴賤上下に通じて、古来今日まで変らぬ、この里のおきて[#「おきて」に傍点]なのであるが――最近、そのおきて[#「おきて」に傍点]を蹂躪《じゅうりん》――でなければ、除外例の特権を作らせた階級がある。それは程近い壬生寺の前に住する東国の浪人、俗に称して壬生浪人、自ら称して新撰隊、その隊士だけは古来の不文律を無視して、帯刀のままでどの席へでも通る。当時、それを差留める力を持ち合わすものがない。そこで、この爛酔の客が、通常の客ではない、新撰組にゆかりのある壮士の一人か、或いは、それらの徒の招きでここへ押上ったものかに相違ない、という想定が、早くも村正どんの頭に来ると共に、その夢中で口走る囈語の中に、呼び立てる人の名もどうやら聞覚えがないではない。
右の種類に属する程度の者とすると、これはうっかり近よらぬがよろしい、普通の酔客ならば、あやなして持扱う手もあるが、あの連中では、うっかりさわっては祟《たた》りがある、という警戒の心がそこで起ったものですから、
「雛妓たち、ここはこのお客さんのお友達が来るらしいから、われわれは、また別の座敷で別の遊びをしよう、さあ、このままで一同引揚げたり」
こう言って、村正どんは手勢を引具して退陣を宣告すると、夢うつつで、その声を聞き咎《とが》めたらしい爛酔の客が、
「なに、こども、こどもが来たか、子供が来たら遠慮なくここで遊ばせろ。実は拙者も、こう見えても子供は極めて好きなのじゃ、子供と遊ぶほど愉快なことはない、女は駄目だ、成熟した女というやつにはみんな毒があるが、子供には毒がない、今晩も、わしは招かれるままにここへ遊びに来たが、女、女と呼んではみたものの、もう昔のように女を相手にしてみようという気などは起らぬじゃ、子供がいたら子供と遊びたい。そうだな、せいぜい、あの時のお松といったあのくらいの
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