十七

 さて、如上の事情によって綜合してみますと、伊太夫とお銀様の会見も、案外無事に済んで、家督の問題も、すんなりと解決したらしい。すんなりとはいえ、世間並みに解決したのではない、伊太夫が全くあきらめて、この我儘娘《わがままむすめ》の我儘を、このまま認めてやっただけのものですが、他で心配したほどの風雲も起らず、正面衝突もなくて無事に解決したのは、まずまずと言わなければならぬ。
 同時に、取巻共がしきりに伊太夫に向って斡旋《あっせん》した山科の光悦屋敷なるものも、こうしてお銀様の有に帰してしまったものらしい。してみると、胆吹王国が一歩京洛へ向って前進し、ここに光仙林王国が新たに出来上ったと見るべきで、今こそ草創の際とはいえ、追って本山は胆吹よりこの地に移るかも知れません。
 不破の関守氏が軍師ぶりは、いよいよこれから冴《さ》え渡らなければならないし、宇治山田の米友は、ここに全く安住の地を得たと謂《い》いつべきです。隣国の近江では死を以て待たれたこの小冠者も、僅かに関一重越えて来ると、全く生命の安全が保証されるというのは、封建ブロックの一つの有難さと言わなければならぬ。
 その日中になると、不破の関守氏が、お銀様の居間をおとずれました。弁信法師は、すでに姿を消していずれにあるやを知らず、米友も、がんりき[#「がんりき」に傍点]も、デンコウも、それぞれこの林内のいずれかに、落着くべきところに落着かせて置いて、関守氏が女王様の前へ伺候したのであります。
 関守氏の手には、先刻がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の手から受取った青嵐居士の手紙の一通が、無雑作《むぞうさ》に握られてある。そうして、例の物慣れた口調で一くさり、がんりき[#「がんりき」に傍点]直伝《じきでん》の胆吹留守師団の物語を語って、一揆解消の青嵐居士の手柄話にまで及んだ後に、余談として、実は本談以上の興味ある会話に膝を進ませました。
「そういう次第で、天下の風雲がいよいよ急を告げて参りました、どのみち、この風雲は只では納まりませんな、どこまで惨害を産むか、どの辺で混乱を食いとめるかということが、今、天下一般の関心でしてな、これが観察も区々ではありますが、だいたい、大いに乱れるという者と、存外手際よく時代が打開されるとこう見るものと、二通りございます……左様、我々の見るところでは、一度は大いに乱れるのじゃないかと、ひそかに憂えてみる次第なのですが、どんなものでございますか……」
 これは天下の形勢を見立てるので、閑談としては桁《けた》が大き過ぎるけれども、この時代は、ちょっと心ある人は誰も、天下の風雲を気にしないものは一人もありませんでした。朝廷と幕府との間がどうなるかという心配と、日本と外国との関係がどうなるかという心配と、この二つのものは、日本の国民全体にぴんと迫り来るところの切実な課題として、退引《のっぴき》はできませんから、寄るとさわるとこれが行末と、これからその結着ということに座談が落ちて行かないということはありません。
「一度は大いに乱れて、それからどうなります、乱れっきりで応仁の乱のようになりますか、それとも早く治まって……」
とお銀様は、関守氏の答案に追究を試みてみました。
「左様、いったんは大いに乱れて、それから後がどうなりますか、そこにまた深い観察が必要になって参りますな、仮に王幕相闘うこと、鎌倉以来の朝家と武家との間柄のような状態に立ちいたりましても、それからどうなりますか、容易に予断を許しません、勤王の方は、西南の雄藩が支持しておりまして、これが関ヶ原以来の鬱憤を兼ね、その潜勢力は容易なものではありません、幕府の方は、なにしろ二百数十年の天下でも、人心が萎《な》え、屋台骨が傾いておりますから、気勢に於て、すでに西南に圧倒されて、あとは朽木《くちき》を押すばかりとなっているとは申しますが、関東だからと申しましたとて、なにしろ武力の権を一手に握り、家康が選定した江戸の城に根を構え、譜代《ふだい》外様《とざま》の掩護《えんご》のほかに、八万騎の直参を持っているのですから、そう一朝一夕に倒れるというわけにはいきますまいから、当分は大いに乱れて、両方の勢力互角――つまり、日本が東西にわかれて長期戦になる、昔の南北朝を方角を換えて規模を大きくしたようなことになりはしないか、識者は多くはそう観察して、その成行きを最も怖れているのですが、全国の大小名も、今のうち早く向背をきめて置かぬと後日の難となる、そういうわけで、旗印を塗りかえているのもあれば、ボカしているのもある、そこで旗色の色別けはほぼわかって来ているようですが、どのみち、一度は大いに乱れて日本が二大勢力の争いの巷《ちまた》となる、こう覚悟をしていなければ嘘でしょう」
と関守氏は能弁に語
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