存じません、今、おっしゃったじゃありませんか、乗りかかった舟だから是非がない――ほんとにそうなのよ、あなたと、わたしと、これまで同じ舟に乗って、艱難《かんなん》だけを共にし合って、おたがいにこれから帆を揚げようというところで別れるなんて、それは乗りかかった舟を川の中で捨てるというものです、捨てるあなたが薄情なのよ、捨てられるわたしは、たよりなぎさの捨小舟《すておぶね》……人間、別れる時に別れないのは未練で、あとが悪い、よくおっしゃいましたね、未練が残るくらいの別れは、本当の別れではないのよ。あなたという方は、信濃の中房から途中でもあんなにして、わたしを捨ててしまい、ここでもまた、わたしの身が、どうやら落着いたと聞いて、もう浮わついて別れようとなさる、それこそ、未練とも卑怯ともいうものじゃなくって、かりそめにも女の身一つを山の中へ投げ出して、お前はお前、わたしはわたし――と不人情はできないと、今もおっしゃいましたわね、ここでわたしを振り捨てるのが不人情でないと誰が申しました、ほんとにわたしの運命を見届けて下さる御親切がお有りならば、これからじゃありませんか」
福松は泣きじゃくりながら、立てつづけて口説《くど》き立てますが、今日は山道中の手管《てくだ》とは違います。兵馬の方でもまた、道中の時の煮え切らない挨拶とは違って、いよいよキッパリと、
「人の運命を見届けるということは不可能なことです、その人と生涯を共にしない限り、その人の末の末までの運命がわかるものじゃないです、人の一生は道中のようなものであるから、泊り泊りの一夜を、即ち生涯の運命の終りとして、途中の別れに未練があってはならない――いずれにしても、拙者の心はきまっている、誰がどう言っても立ちます」
彼は早や行李《こうり》を引きまとめにかかるので、福松もただ泣いて口説いてばかりはいられないのです。
五十五
「そうおっしゃられてしまうと、わたしには、このうえ何も申し上げられないわ、その人と生涯を共にしない限り、その人の末の末までの運命は見届けられない、その通りでございます、あなたと、わたしと、生涯を共にして下さいと言わない限り、この上あなたをお引きとめすることはできませんのねえ。あなたのような行末の有望なお方を、わたしのような股旅者《またたびもの》が引留めようのなんのと、そんなだいそれた心はありません。では、ね、宇津木さん、たった一つ、わたしの頼みを聞いて頂戴」
「何ですか」
「今晩一晩だけ、泊っていらっしゃい、ね、いくら何でも、話がきまったから、今日この場でお別れなんて、考えるにも考えられやしないわ、別れたあとのわたしは、血を吐いて死ぬばかりなんでしょう、ですから、わたしに、あきらめの時間を与えて下さいな、長いことは申しません、たった一晩だけ、お立ちを明日に延ばして下さい、ただ、それだけのお頼みよ、そのくらいは聞いて下さるでしょうね、それをお聞き下さらなければ、わたしにも、わたしとしての了簡《りょうけん》があってよ」
「ふーむ」
と、ここに至って兵馬は、最初の如く、決然として進退を宣告する言葉が出ませんでした。
その躊躇《ちゅうちょ》した瞬間を見て取った福松は、ようやくこっちのものという気分を取り返しでもしたかのように、
「ね、それは聞いて下さるわね、今晩一晩だけ、ゆっくり話し合って、尽きぬ別れというのを、惜しみ惜しまれた上で、これでおたがいに、もう愚痴もこぼさず、未練を言わず、綺麗《きれい》に別れましょうよ。別れてしまえばあとのことはわかりません、今晩一晩が一生の御縁のあるところよ。ね、そうして下さいよ、わたしが、そのように取計らってしまうわよ。それにはいいことがあるんです、この福井の御城下から、ちょっと離れたところに、あわら[#「あわら」に傍点]という誰も知らないお湯が湧くところがあるんだそうです、つい近頃、近所の人が掘り当てたけれども、土地の人だけしか知らない、それを、わたしの御贔屓《ごひいき》のいま申し上げた親分さんが、ほんの仮普請をして、ごく懇意の人だけ湯治をするように仕かけてあるんですとさ、そこを、わたしが話して一日一晩買いきってしまいますから、そうして、あなたと、しんみりと旅のお話をしたり、汗を流しきったりして、最後のお名残《なご》りということに致しましょう。これだけはお聞き下さいね、ようござんすか」
それを聞かなければ化けて出る、とも言い兼ねまじき気色に、兵馬は自分のはらが決まってここまで来ている以上、さのみ末節にかかわるべきでもないと、沈黙していました。沈黙は、つまり女の提議に無言の同意のものと受取ったから、女はまたも元気を取りもどしてはしゃぎかけました、
「ほんとに、白山白水谷の旅では、あたしがあなたに負けました、一度、あなた
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