村正がついに悲鳴を揚げました。
「こいつは堪らぬ、降参降参」
 白旗を掲げたけれども、聯合軍はその誠意を認めないらしく、どうしても息の根を止めなければ兵を納めないらしい。
「拝む、拝む、この通り」
 そこで、聯合軍もいくらか胸が透いたと見えて、
「ごらんなさい、拝んでるわ」
「拝んでるから、許して上げましょうよ」
「その代り、もう、この人は戦争に入れないことにしましょう、決して手出しをさせないことにしましょう」
「それがいいわ」
「では捕虜なのよ、捕虜はここで、これを持って、おとなしく見ていらっしゃい」
と言って、一人が有合わした雪洞《ぼんぼり》を取って、長柄の銚子を持たせるように、しかと両の手にあてがったのは、捕虜としての当座の手錠の意味でしょう。
 無惨にも捕虜の待遇を受けた村正どん、命ぜられるままに、柄香炉《えこうろ》を持つような恰好《かっこう》をして、神妙に坐り込んでいると、そこで、聯合軍がまた解けて、同志討ちの大乱闘をつづけてしまいました。
 その騒々しさ、以前に輪をかけたように猛烈なものになって、子供とは思われない悪戯《いたずら》の発展。
 この騒動で、すっかり忘れられていたさいぜんの蒼白《あおじろ》い爛酔の客。
 騒がしいとも言わず、面白いとも言わず、静まり返って、以前のままの姿勢。長々と壁によって、肱枕《ひじまくら》で、こちらへ向いてはいるが、相変らずちっとも眼を開いて見ようとしない。
 この、いよいよ嵩《こう》じ行く乱闘の半ばで、不意に燈火が消えました。雪洞《ぼんぼり》から丸行燈にうつした唯一の明りがパッと消えると、乱闘が一時に止まる。
「わーっ」
という一種異様な合唱があって、
「あら、怖《こわ》いわ、早く燈《あかり》をつけてよう」
「怖いわ」
「あら、村正の奴、いたずらをしたんだわ」
「卑怯な奴、暗いもんだから」
「あら、村正が逃げるわよ」
「逃げ出したわよ」
「逃がすものか」
「捕虜の奴、逃がすものか」
 暗に乗じて、捕虜が逃走を企てたことは確実で、それを気取《けど》った一同は、同じく暗の中を手さぐりで、捕虜を追いかけると同時に、この室を退散。
 そうして、最初に計画を立てた明るい広間の中に乱軍が引上げて見ると、村正どんは、もうすました面《かお》で床柱にもたれて、長煙管《ながぎせる》でヤニさがっている。

         二十八

 燈《あかり》の不意に消えたことは、乱軍の休戦ラッパとなり、同時にまた、あの強《こわ》もてのような、変な空気ではじめた余興の見事な引上げぶりに終りました。
 いい汐合《しおあ》いに引上げたものだ、まさに甲賀流の極意! 村正どんは床の間へ帰って、長煙管でヤニさがって、それから腮《あご》を撫でていると、あとからあとからと、創痍満身《そういまんしん》の姿で聯合軍が引上げて来る。そのあとから仲どんが、衣裳と帯とを揃えて持って来る。
 みんな疲れ果てて、もう愚痴も我慢も出ない。せいせいと息をきって、眼を見合わせて、息をついているばかりだが、それでも皆、昂奮しきって、愉快な色が面に現われている。
 村正どんもまた、花合戦よりも蕾合戦《つぼみがっせん》のことだと内心得意がって、この清興(?)を我ながら風流|事《こと》極《きわ》まれりと納まっている。子供を相手に、こういう無邪気(?)な色気抜きの遊びに限る、こういう遊びぶりこそは、色も恋も卒業した通の通でなければやれない、という面つきをして得意満々の体に見えたが、しかし、もう時刻もだいぶおそい、この辺で、この清興に疲れた可憐の子供たちを解放して、塒《ねぐら》につかせてやるのが、また通人の情け、無邪気というものも程度を知ることが、また通人の通人たる所以《ゆえん》でなければならないという面をして、
「どうだ、面白かったか」
「ほんとに面白かったわ」
「ずいぶん面白かったわ」
「でも、わたし苦しかったわ」
「負傷者は出なかったね、怪我をした者がないのが何より。さあ、この辺で、みんな引取って家へ帰って、お母さんのお乳を飲んでお寝み――」
 そこで、みんな衣裳髪かたちを一通り整えて、本当の安息の時間へ急ごうとして、なお余勇がべちべちゃと、あれよあれよと取噪《とりさわ》いでいるうちに、なんとなく物足りない気がしたと見えて、その中の誰言うとなく、
「朝ちゃんは――」
「朝霧さんがいないわ」
「おや」
「お手水《ちょうず》じゃないの?」
「さっきから見えないわ」
「どうしたんでしょう」
「朝霧さん」
「朝子ちゃん」
 一人が言い出すと、みんなが言い合わせたように呼びかけたが、その求める人の返事がない。村正どんも、さすがにそれが気にかかって、
「一人でも討死をさしては、大将の面目が立たない」
 そこで改めて簡閲点呼を試みたが、真実、その朝ちゃんだけがいないの
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