る、こちらも渡りに舟だから、万事よろしくお任せ申しますと言いますと、明日からお前の住むお家もちゃあんときめてやる、とその親分さんが言ってくれました。そんなわけでわたしも、思いがけない後ろだてが出来て、この土地で、新参ながら押しも押されもせぬ姐《あね》さん株になって、立派に看板があげられるのよ、そうして、あなたを長火鉢の前へちゃあんと坐らせて、よろこばして上げるわ。浮草稼業のものに根がついたほど嬉しいことはない、もう、あなたにも旅の苦労なんかさせないことよ、いいお兄さんで、横のものを縦にもさせないで、遊ばせて置いて上げるわ」
福松の欣々《いそいそ》として帰ったのはこれがためでありました。水草を追う稼業であればこそ、身の振り方のついたということに、無上の安心を置いていたらしい。同時に、これが同行の兵馬をも悦ばせずには置かないと独《ひと》り合点《がてん》の推量で、わくわくしながら話しかけると、兵馬は膝を進ませ、言葉を改めて言いました、
「ああ、それは結構です、実は、拙者も今、物を書きながら、それを考えていたところです、自分の身は天涯《てんがい》ドコへ行こうとも屈託はないが、君の身の上が、女であってみると、拙者相当の取越し苦労で心配してあげていた、それが、渡りに舟で、先方からそういう話が向いて来たのは何より。では、君はここで安定しなさい、そうすれば、拙者はこれで心置きなく、自分の目的へ向って進行することができる」
この改まった言葉を聞いて福松が、がっかりして狼狽《あわ》てました。
「あら、そんなはずではありませんのよ、わたしが嬉しいことは、あなたにも悦んでいただきたいから申しあげたのに、わたしにここへ留まって、あなただけがお出かけなさるなんて、そんな情合いで申し上げたのじゃあありません。何でもいいから、暫く御逗留なさいね、少しの間、この福井の御城下を見物したり、三国へとうじんぼう[#「とうじんぼう」に傍点]をたずねたりして、当分こちらにいらっしゃいね。わたしの家ときまったところに落着いて、一月でも、二月でもいいから、そうして、お厭《いや》になったらいつでもお出かけなさいね。ほんの、一月か二月、いらっしゃいよ、わたしの家で、わたしが看板をあげた家に、大威張りで、誰にも気兼ねをする者はありゃしませんわ、あなた一人を、後生大事の大事のお旦那様にして、猫にもさわらせないようにし
前へ
次へ
全201ページ中123ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング