れたということに、運命の興味を感じて、これを相手に行路難の修行底といったような、善意に水を引いた興味が伴えばこそで、実は穴馬谷へ落ち込んで、はじめて、たずぬる相手は北国へ落ちたのではないということを確認したまでのことで、越中、加賀の方面には断じて、それらしい人の通過した形跡がないことを、この間に、たしかに確めたのです。が今となっては路頭を転ずることができない。いっそ、名に聞いたまま足を入れていない北国の名都、越前の福井に見参してから、その上で、あれから近江路へ出ることは天下の北陸道だから、それを通って、やがて再び京都の地に上り得られるのも旬日の間。
こうなると、兵馬の頭には、金沢もなく、三国もない、地図を案じて北陸の本筋を愛発越《あらちご》えをして近江路へ、近江路から京都へ、心はもう一走り、そこまで行けば今度こそは結着、そこで、双六《すごろく》の上りのように、三条橋を打留めに多年の収穫、本望が成就《じょうじゅ》する――そこで何となしに気がわくわくして、これは福松と異なった意味で心が湧き立ってきました。
福松の頭には、浮いた湊《みなと》の三国の色町の弦歌の声が波にのって耳にこたえて来る。兵馬の頭には、僅か昔の京洛の天地、壬生《みぶ》や島原の明るい天地の思い出が、怪しくかがやいて現われて、あれから新撰組はどうなったか、近藤隊長、土方副長らのその後の消息も知りたい。今の京都の天地にはところによっては腥風血雨《せいふうけつう》であるが、まだまだ千年の京都の本色は動かない。
兵馬は、福井のことは頭に上らず、しきりに、京へ、京へと心が飛んで参りました。
五十四
福井の宿についたその翌日午後、福松は欣々《いそいそ》として宿に帰って来ました。
その時に、宇津木兵馬は旅日記を認《したた》めておりましたのですが、そこへ、欣々として帰って来た福松が、にじり寄って、
「ねえ、宇津木さん、ほんとに都合よく事が運びましてよ、わたしの昔|御贔屓《ごひいき》になった親分さんが、この土地に来ておりましてね、その方のおっしゃるには、福松、よいところへ来た、今この土地は大繁昌で、腕のある芸者のないのに困っているところだ、お前、よいところへ来てくれた、いい看板の明きもあるし、立派な家も持たせてやるからここへ落着きなさい、どんなことがあっても当分はここを放さないよ、とおっしゃ
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