も、例の、
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宮さん
宮さん
お馬の前の
ピカピカ光るは
何じゃいな
あれは朝敵
征伐せよとの
錦の御旗じゃ
ないかいな
トコトンヤレ
トンヤレナ
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の軍歌は、いよいよ明亮《めいりょう》を極めて、絶えず、前から襲って来たものですから、米友もつい、そのリズムに捲き込まれて、いい気になってしまい、歩調までが勇み足になった上に、
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トコトンヤレ
トンヤレナ
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と伴奏しはじめたかと見ると、興に乗じたか、提灯を地面に置いて、自分は道のまんなかに踏みはだかり、手にした例の振杖ではない杖槍を取って、中空に投げ上げ、それが落ちかかるやつを手早く取って受けては、またクルリと中空へ投げ上げる、右へ泳ぐのを左で受けたり、左へ流れるのを右で受けたりして、合《あい》の口拍子には、
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トコトンヤレ
トンヤレナ
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とはしゃいでいる。
それに頓着をしない弁信は、委細かまわず突き進んで、やがて本街道から外れて、とある藪小路《やぶこうじ》に突き入ってしまいました。トコトンヤレを口ずさみながら、米友がそこに踏みとどまって、棒を弄《ろう》して以てあえて弁信のあとを追おうとしないのは、あらかじめ諒解があって、弁信は弁信としての当座の使命があり、その使命を果すべく自由行動を取り、米友は米友として、その待合せの時間を余戯でつぶしていると見ればいいのです。
弁信の姿が藪の中にすっかり没入したが、海道に踏みとどまる米友は、杖槍を中空にハネ上げたり、受け止めたり、ひとり太神楽《だいかぐら》の曲芸は以前に変らない。いや、以前よりも一層の興味をわかして、自己陶酔に落ちると、いつもする一流の型をつかいはじめました。
ひとたび藪蔭に身を没した弁信は、容易に姿を現わして来ない。
にも拘らず、米友が手練の入興はようやく酣《たけな》わになりまさって行って――ようやく忘我の妙境に深入りして行く。
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トコトンヤレ
トンヤレナ
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口合いの口拍子だけは、いっかな変らない。惜しいことに、今晩もまた、無料無見物の中に、得意の秘術をほしいままに公開している、その陶酔境の真只中へ、
「米友さん、わかりました」
弁信が、竹の小藪の蔭から抜からぬ面《かお》を
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