現わしました。

         八

 しばらく弁信法師に導かれて来て見ますると、久しく閉された柴の門に、今日この頃ようやく手入れをして、いささか人の住める家としたらしい、その前へ来ました。近よって米友が門の柱を見ると、三寸に四寸ほどの門札のまだ新しいのがかけられたのへ、提灯を振りかざして見ると「光仙林」――それは自分の提灯に記された文字と同じであることを知りました。
 そこで来るべきところへ来たという安心がありました。
 その門をくぐって、屋敷の中へ入って見ると、広いこと、門の外も同じ原っぱならば、門の中もまた同じような原っぱ。
 さすがに門の外は、荒寥《こうりょう》たる自然の山科谷だけれど、門の中には相当に手入れをした形跡はある。自然の林と原野とを利用して、相当人間の技巧を加えたのが、久しく主に置き忘れられて、三逕荒《さんけいこう》に就き、松菊なお存するの姿にはなっていたけれど、これもきのうきょう開きならしたらしい旧径のあとは、人を奥へ導いて、この道必ずしも鳥跡ではないことがわかる。
「ずいぶん広い屋敷だ」
と、歩きながら米友もひそかに舌を捲いたくらいだから、門を入ってさえドコに人家があるのだか容易にわかりません。
「光仙林」ていうから林の名なんだ、だが門があって、表札が打ってあるからには、人の住むべき構えがなければならないということを、強く予想しながら、弁信にまかせて従って行くと、果して、一口の筧《かけひ》を引いた遣水《やりみず》があって、その傍に草にうずもれた低い家があったのです。
 そこへ来て見ると、何よりも人の住んでいることに間違いのないという証拠は、幽《かす》かながら燈火の影がさしていることで、またも米友を安心させると、時を同じうして弁信のおとなう声を聞きました。
「御免下さいませ、関守様はこれにおいででございますか」
と案内を乞《こ》う声によって、中に人あることの見込みも確実ですが、ただちょっと、この際、米友の聞き耳を立たせたのは、弁信のおとなう声の中に、関守様と特に名ざしたことです。
 関守といえば、その人の固有の姓、たとえば関口とか、関根とか、関山というような種類のものでなくて、関を守る人という意味の特別普通名詞であるに相違ない。
 してみると、中なる人を関守氏と呼んだ以上は、ここは関だ、つまりお関所なんだ。お関所は幾つもある、東海道の箱根の
前へ 次へ
全201ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング