弁信の言うには、一所に停滞した声で、前進の迫力の声ではないとのことですけれども、米友の耳で聞くと、刻一刻に自分の耳元に迫って来て、いよいよ近づいて、いよいよ冴《さ》えて来る。どうして、あちらから歩武を揃えて堂々と前進し来《きた》る合唱でないとは言われません。そこで、米友が再び迷うて、弁信に向って駄目を押しました、
「弁信さん、大丈夫かエ、軍歌が、だんだんこっちへ近づいて来るような気持がするぜ」
「え、それは耳のせいと、風向きのせいでございましょう、実は以前と少しも変っておりません、鳥羽伏見あたりで稽古をしているのでございますよ」
「鳥羽伏見てのは、いったい、ドコなんだ」
 弁信が、ひとり合点で言うものですから、米友が、確《しか》とその地理学上の根拠を突きとめようとしました。鳥羽は京都の南部に当り、伏見はこれよりやや東に隣り、道のりでは四里八町ということになっているけれども、距離はいずれこの地点から三里内外。
 ところで、二人は追分から、右へ伏見道へそれず、山科に入り、四宮、十禅寺、御陵、日岡、蹴上、白川、かくて三条の大橋について、京都に入るの本筋を取るつもりであろうと思われます。

         七

 二人の立っている地点から見ると、後ろは逢坂の関から比良、比叡へ続く峯つづき、象ヶ鼻、接心谷、前は音羽山、東山、左へやや遠く伏見の稲荷山、桃山――その間の山科盆地をさまよっている。京の中心へも程遠からぬところ、東山を打貫きさえすれば、鳥羽も、伏見も、つい目と鼻の先にはなっているが、かくまではっきり軍歌の歌詞までが受取れるほどの地点とは思われぬ。だがこの場合、弁信の錯覚があるとないとにかかわらず、米友は一応その説明に満足し、また満足するよりほかに地理の観念を持たない身は、それに聴従するよりほかはなく、相ついで歩いているが、関の明神を出てからでも、もういく時にもなるのだから、相当道のりも捗取《はかど》っていなければならないのに、離れて第三者から見ていると、「山科光仙林」の提灯が同じところを行きつ戻りつしている。そうでなければ、グルグルめぐりをしているとしか思われない。さては京に入る前にドコぞ立寄るところでもあって、戸別《こべつ》家さがしでもやっているのか知らん。とにかく、二人は山科谷に彷徨《ほうこう》して、京へ直入の足は甚《はなは》だ怪しくなっているのですが、その間に
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