》を燃して明りを取り、蕨粉《わらびこ》を打っていた老山がつ[#「がつ」に傍点]が、ぬっと皺《しわ》だらけの面をつき出して、
「ドコさ行きなさる、勝山へおいでさんすかなあ」
五十三
その翌朝から、九頭竜川の沿岸を下って福井へ出る道も、かなりの難路でしたけれども、今までの山越しと比べては苦にならない。二人はついに越前福井の城下へ落着いてしまいました。
福松の、そわそわとして上ずっていることは、山の中から町へ出て、いっそう嵩《こう》じてしまいました。福井の城下で、極印屋《ごくいんや》というよい旅籠《はたご》をとって納まった気分というものは、旅から旅の稼ぎ人ではなく、半七を連れ出した三勝姐《さんかつねえ》さんといったような気取り。万事自分が引廻し気取りです。
ただ、この三勝は少し毛が生え過ぎているし、半七は追手のかかる身でないが、女のために身上《しんしょう》を棒に振るほどの粋人でないだけが恨みだが、半七よりもいくらか若くて、武骨で、ウブなところが嬉しい。それよりも福松の気丈夫なことは、二人の中には、現に三百両という大金が手つかず保管されていることで、これはもともと、代官のお妾《めかけ》のお蘭どののお手元金なんだが、それがわたしたちの手に落ちて来たというものは、たくんだわけでも、くすねたわけでも何でもない、自然天然に授かったので、人民を苦しめてしぼり上げた、その血と汗のかたまったもの、お蘭さんのような自堕落な女に使われたがらないで、苦労人であるわたしたちの方に廻って来たというものが、つまり授かりもの、天の与える物を取らずんば、災《わざわい》その身に及ぶということがありましたね、あのがんりき[#「がんりき」に傍点]というイケすかない野郎の手をかりて、ウブで、そうして苦労人の二人の手に渡ったことが果報というものなんでしょう。この大金が手にある限り、二人は相当長いあいだ遊んで歩ける、という胸算用が、疾《と》うに福松の腹にあるからです。
放縦のようでも、売られ売られつつ、旅から旅を稼がせられ、およそこの世の酸《す》いも甘《あま》いもしゃぶりつくした福松は、金銭の有難味を知っていて、締まるところは締まる仕末も、世間が教えてくれた訓練の一つ。
「二十日余りに四十両、使い果して二分残る――なんて、浄瑠璃《じょうるり》の文句にはいいけれど、梅川も、忠兵衛も、経済
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