といえども、これだけの実力を以て大軍に向うなどは、暴虎馮河《ぼうこひょうが》の至りです。よし、それに相当る大軍を保持していたからにしても、この人は戦をしかける人ではない、むしろ緩和に当ることを得意とする人であることは、姉川の時の水合戦の裁きぶりでもよくわかっている。
五十名の胆吹王国の総動員をしたのは、戦わんがためでなくして、和せんがためであるに相違ない。和するというのは、つまり、こちらへ向って無遠慮に侵入の気配にある一揆暴動の逆流を、緩和転向せしめるためでなければならぬ。あの勢いを真正面からこの山へ引受けてしまった日には、独逸軍《ドイツぐん》の白耳義《ベルギー》に於けるように、損害と犠牲のほどは目も当てられないことはよくわかっている。群集共の間には、まだ、胆吹山あるを知って、この王国あるを知らないものが大部分に相違ないが、来てそうしてこれを知った日にはたまらない。せっかくここまでの経営が、瞬く間に掠奪と、犠牲の壇上に捧げられてしまい、そうしてこの本館も、御殿も、彼等暴民共の一炬《いっきょ》に附されるか、或いは山寨《さんさい》の用に住み荒されることは火を見るように明らかである。
留
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