中にて胡麻の蠅のことを言い出して、路銀を二両ばかり貸してくれるように頼むと言ったら、竜太夫へ申し聞かすとて引込んだ。少し間が過ぎて、おれに言うには、太夫方も御覧の通り大勢様の御逗留《ごとうりゅう》ゆえ、なかなか手廻り申さぬ故、あまり軽少だがこれを御持参下さるようとて一貫文くれた。それをもらって早々逃げ出した。それから方々へ参ったが銭はあるし、うまいものを食い通したから、元《もと》の木阿弥《もくあみ》になった。竜太夫を教えてくれた男は江戸神田黒門町の村田という紙屋の息子だ。それから、ここで貰い、あそこで貰い、とうとう空に駿河の府中まで帰った……」
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野郎とうとう、胡麻の蠅にしてやられ、乞食から、食い逃げ、借倒しまで功が積んだな、と神尾が、甘酸っぱい面《かお》をして読み進みました。
五十七
しかし、天性図々しいところがなければこうはいかぬ、向うが折入ったところを図に乗るのは一つの手だ、あんまり賞《ほ》めた話ではないが、まあ、一つの自業自得さ、と、いい気持で神尾が読み進む「夢酔独言」――
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「何を言うにも襦袢《じゅばん》一枚、帯は縄を締め、草鞋《わらじ》をいつにも穿《は》いたこともねえから、ざまの悪い乞食さ。
府中の宿《しゅく》のまん中ころに、観音かなにかの堂があったが、毎晩、夜はその堂の縁の下へ寝た。或る日、府中の城の脇の、御紋附を門の扉につけた寺があるが、その寺の門の脇は、竹藪《たけやぶ》ばかりのところだが、その脇に馬場の入口に、石がたんと積んであるからそこへ一夜寝たが、翌日朝早く、侍が十四五人来て、借馬のけいこをしていたが、どいつもどいつも下手だが、夢中になって乗っておるから、おれが目を覚して起き上ったら、馬引どもが見おって、ここに乞食が寝ておった、ふてえ奴だ、なぜ囲いの内へへえりおったとてさんざん叱りおったが、いろいろわび言してその内へかがんでいて馬乗りを見たが、あんまり下手が多いから笑ったら、馬喰《ばくろう》どもが三四人で、したたか[#「したたか」に傍点]おれをブチのめして、外へ引きずり出しおった。おれが言うには、みんな下手だから下手だと言ったが悪いか、と大声でどなったらば、四十ばかりの侍が出おって、これ乞食、手前はドコの奴だ、こぞうのくせに、侍の馬乗りをさっきからいろいろと言う、国はドコだ言え言えというから、おれが国は江戸だ、それに元から乞食ではないと言ったら、馬は好きかという故、好きだと言ったら、一鞍《ひとくら》乗れと言いおる故、襦袢一枚で乗って見せたら、みんな言いおるには、このこぞうめはさむらいの子だろうと言いおって、せんの四十ばかりの男が、おれの家へ一しょに来い、飯をやろうと言うから、けいこをしまい、帰る時、その侍のあとについて行ったら、町奉行屋敷の横町の冠木門《かぶきもん》の屋敷へはいり、おれを呼んで、台所の上り段で、したたか飯と汁とを振舞ったが、旨《うま》かった。その侍も奥の方で、飯を食ってしまって、また台所へ出て来て、おれの名、また親の名を聞きおるから、いいかげんに嘘を言ったら、なんにしろ、ふびんだからおれが所へいろとて、単物《ひとえもの》をくれた、そこの女房もおれが髪を結ってくれた、行水をつかえとて湯を汲んでくれるやら、いろいろと可愛がった。いま考えると与力《よりき》と思うよ。その侍は肩衣《かたぎぬ》をかけてドコへ行ったか夕方うちへ帰った、夜もおれを居間へ呼んで、いろいろ身の上のことを聞いたから、町人の子だと言って隠していたら、いまに大小と袴《はかま》をこしらえてやるから、ここにて辛抱しろと言いおる。六七日もいたが、子のようにしてくれた。おれが腹の中で思うには、こんな家に辛抱していてもなんにもならぬから、上方へ行きて公家《くげ》の侍にでもなる方がよかろうと思いて、或る晩、単物、帯も畳んで寝所に置いて、襦袢を着て、そのうちを逃げ出し、安倍川の向うの地蔵堂にその晩は寝たが、翌日夜の明けないうちに起きて、むやみに上方の方へ逃げたが、銭はなし、食物はなし、三日計りはひどく困ったが、その夜五ツ時分に、堂の縁がわに、どんと音がする故、その音に夢がさめたが、人がいる様子ゆえ、咳《せき》ばらいをしたら、その人が、そこに寝ているは何だと言いおるから、伊勢参りだと言ったら、おれはこの先の宿へばくち[#「ばくち」に傍点]に行くが、この銭を手前かついで行け、お伊勢様へお賽銭《さいせん》を上げるからと言いおる故、起き出でてその銭をかついで行くと、たしか鞠子《まりこ》の入口かと思った、普請小屋へはいりしが、おれもつづいて入りしが、三十人ばかり車座になりおって、おれを見て、その乞食めは、なぜここへはいったと親方らしい者が言うと、連れの人が言う、こいつは伊勢参りだか
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