それが本心であろうけれども、斎藤はあらかじめ近藤の旨を受けて、間者として高台寺へ入り込ませてあるのだという。その内状を山崎が聞いてなるほどと思う――
「して、こんなに遅く、伊東を案内してドコへ行ったのだ」
「それを話すと長いが、まあ聞いてくれ」
これもいい気なもので、御紋章の提灯を橋の一角に安置して置いて、もっぱら山崎を話敵《はなしがたき》に取ろうというものです。
四十七
斎藤一の語るところによると、今晩この男が、御陵衛士隊長伊東甲子太郎を送って、ここのところを通りかかった事情は次の如くでありました。
上述の如く、近藤の新撰組と、伊東を盟主とする御陵衛士隊とは、相対峙《あいたいじ》して形勢風雲を孕《はら》んだ。どのみち、血の雨を降らさないことには両立のできない体勢になっている。土方歳三が、ついに火蓋《ひぶた》を切って、
「高台寺の裏山へ大砲を仕かけて、彼等の陣営を木端微塵に砕き、逃げ出して来る奴を一人残らず銃殺すべし」
それを近藤が抑えて、
「何と言ってもお場所柄、それは穏かでないから、まあ、おれに任せろ」
というわけで、なるべく周囲の天地を驚かさないようにして、なるべく最少の動揺を以て彼等|鏖殺《おうさつ》の秘計を胸に秘めつつ、事もなげに伊東へ使をやって、
「君等の隊と我々の隊との間に、戦場が開かれようとして、またしても京の天地に戦慄《せんりつ》が一つ加わった、そうでなくてさえ、人心極度におびえているところへ、また我々の同志討ちがはじまったとなっては、この上の人心動揺はかり難い、君等の奉仕する朝廷へ対しても恐れ多い次第だし、我等のつとむる幕府のためにも不利不益だ、おたがいの間のわだかまりは、先日切腹の茨木ら四人の犠牲で結論がついている、この上は笑って滞りを一掃しようではないか、それには、君と僕とが相和することが第一だ、君と僕とが相和して往来するようになれば、京中の上下は全く安心する、よってこの際、旧交を温めて、快く一夕を語り明かしたい」
こういう意味で伊東へ交渉すると、伊東はそれを承諾した。伊東自身にも、その配下にも、あぶないという予感は充分にあったと思うが、近藤も男、おれも男である、こうまで言ってきているのに、行かないというは卑怯である、というわけで、近藤の招きに応じて今日、昼のうちから七条醒ヶ井の近藤の妾宅《しょうたく》へ出かけたのだ、吾輩がともをして。近藤は非常な喜び方で接待をする。先方には土方もいる。原田左之助もいる。会ってみれば皆、剣に生きる同志で、死生を誓った仲間だ。興は十二分に湧いて、款《かん》を尽して飲むほどに、酔うほどに、ついつい夜更けに及んでしまって、今こうして立ちかえるところなのだ。案ずるほどのことはない、極めて無事にこれから、高台寺月心院の屯所へ帰って快く、ぐっすりと寝込むばかりだ――
こういうような事情を、斎藤一が山崎譲に向って、橋上で、自分も一杯機嫌に任せていい心持で語るのは、もはや、帰ることも忘れているような様子です。
ところが一方、斎藤をここへ置き放して、一歩先に進んだ伊東甲子太郎は、これはまた斎藤よりも一層いい心持で、ぶらりぶらりと橋の袂《たもと》まで来ると、そこに一人の人間が立っているのを認めて、
「おい、誰だ、そこにいるのは」
酔眼をみはって誰何《すいか》したが、返事がない。よって、わざわざ摺《す》りよるように近づいて、
「なんだ、机竜之助氏ではないか」
竜之助と呼ばれた立像は、無言でうなずいているのを伊東が、
「何しに、こんな夜更けに、こんなところにいるのだ、芹沢の来るのを待っているのか、ははあ、山崎と同行か、山崎は今、あの通り、橋の上で斎藤と話している」
伊東も振返って、再び橋上を見ると、立話に夢中な斎藤も、山崎も、てんでこちらのことは忘れてしまっているようです。
「して、貴殿はドコへ行かれる、先年、島原から行方不明になったとは聞いたが、どうして今ごろ、こんなところに何をしておられる」
伊東甲子太郎は、こう言って、橋詰に立つ竜之助に向って問いかけたのは、酔い心地に旧知のことを思い出したのです。
だが、竜之助は相も変らず柳の下に、立像のように突立っているだけで返事がない。酔っている伊東は、返事のないことにも頓着せずに、畳みかけて物を言う、
「今時、貴殿ほどに腕の出来るものを遊ばして置くという手はない、いったい、君は佐幕派かい、勤王派かい」
駄目を押しても相手がいよいよ返事がない。伊東も木像を相手にする気にもなれず、
「そんなことは、ドチラでもかまわん、進退が自由だとすれば、僕のところへ来給え、ついこの上の高台寺月心院に、御陵衛士隊屯所というのがそれだ、貴殿が来てくれれば、死んだ芹沢も喜ぶに相違ない」
と言って誘いかけてみました。
それで
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