俗人冷遇の目の敵《かたき》にされるというのがわからねえでがす」
 道庵は遠慮のないところの疑問を、平田師に向ってブチかけると、諦善師は、悪い面《かお》をしないで、かえってその疑問、我が意を得たりと言わぬばかりに、
「その事でござるてな、いや、このあねさん[#「あねさん」に傍点]塚の世間俗間から冷遇されることは非常なものでござってな、貧乏神中の貧乏神として、あしらわれていますのじゃ」
「貧乏神」と聞いて、道庵が足もとを払われたように感じました。身に引け目があるからです。ただし、道庵先生のは、世間から貧乏神扱いにされるのではない、自分から貧乏神を売り物にしているだけの相違ですが、それでも、突然、人から貧乏神と言われると、正直いい心持はしないらしい。それにかまいなく、住職は重ねて註釈の労を厭《いと》いませんでした。
「このあねさん[#「あねさん」に傍点]塚が俗間では、貧乏神中の貧乏神として嫌われておりましてな、この下の町でも、ちょっとこのあねさん[#「あねさん」に傍点]の塔の方を仰いだだけでもその日は商売がない、それから、街道を通りながらも、思わず知らず、このあねさん[#「あねさん」に傍点]塚の方へ振向いたその日は、もううだつが上らない、というようなわけで、とうとうこの塔をごらんの通り後向きにしてしまいました。そのくらいですから、俗人が皆おぞけをふるうばかりで、お参りなどをするものは誰一人もあるじゃございません。それにあなたばかりが珍しく……」
「おやおや、ヒドクまた嫌われたもんですね、しかし、人生にはまた意外の知己もあるものでね、あながち悲観するにも及びませぬわい」
 ひとり、この道庵に於ては大いに同情するところがある、という気前を見せたつもりなんでしょうが、住職はそれを好意に受取って、
「全く御奇特なことでございます」
「わしなんぞは、その日の商売が繁昌しようとすまいと、そういうことを石塔にかこつけて、義理人情を無視するようなことはしない、だがしかし、少なくも貧乏に於ては、安然大和尚に譲らねえつもりだが、自分の口から言うのは少し恥かしいくらいなもんだが、これで江戸の下谷の長者町へ行ってごろうじろ、一部には、なかなか大した人望があるんでね」
 そういう自慢がはじまるのを、住職は、やっぱり軽くあしらって、
「それは結構なことでございます」
「貧乏はしても、人望はあるんだよ。それにつけても、安然大和尚ともあるべき人物が、それほど人望を失っているというのは、よくよくのことなんだろう、いったい、どうした因縁なんですかね、不審の至りですなあ」
「その因縁でございます、その因縁には、実はこういう物語があるんでございます、まあお聞き下さい」
 平田住職は非常に親切に道庵に応対をする。道庵もまた、なんでもかでも聞いて置きたい方だから、神妙に傾聴している。
 小高い山の、赤土に長い赤松が生えて、青い空から晴れた軽い嵐がその梢《こずえ》に送られる。松の間から見る琵琶湖の景色のなごやかさ、湖上湖辺に騒ぎがあるなどとは夢にも思われない。かくて長安寺の裏山で、この変体な寒山と拾得とが、貧乏物語をはじめました。

         三十八

 諦善師が、道庵先生に語るところの因縁物語は、次の如きものでありました――
 安然大師、現世では左様に古今独歩の大学者であったけれども、その前世は甚《はなは》だ薄徳なる一個の六部でありました。そうして、人から受くることばかりで、与えるということを更にしなかった。その報いによって、学徳は左様に高かったけれども、財縁というものが甚だ薄く、修行時代には赤貧洗うが如く、朝夕の煙もたえがちで、ほとんど餓死に迫ってしまった。そこで、安然法師は歎息し、程近き「投げ足の弁天」へ参籠《さんろう》して泣訴することには、
「愚僧は貧困骨に徹して、もはや餓死になんなんとしている、わしは若いですから餓死するとも我慢は致しますが、老いたる母が不憫《ふびん》でなりませぬ、何とかよい工夫はないものでございましょうか」
 そうすると、投げ足の弁天様は、名前通り足を投げ出したままで、これに答えるようは、
「それはお気の毒千万なことだが、お前さんの人相を見ますと、お前さんの前世は六十六部でした、そうして貪慾で、貰うことばかり一生懸命で、人に施しということをしたことがありません、その報いで、お前さん母子《おやこ》が今のように貧乏に苦しむのですから、いわば因果応報で、如何《いかん》とも致し方がないのです。しかし、お前さんは勉強家で且つ親孝行だから、一つわたしが手段方法を教えて上げましょう。それというのは、お前さんが前世で六部の時代に、それほど貪慾の罪を造っていたが、ただ一度だけ施しをしたことがある、それはお前さんが、心あって施しをしたのではない、ある時、前世のお
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