その仔細というのは
追って
七兵衛おやじの口から
皆さんのお聞きに入れるでしょう
五十路《いそじ》に近いおやじが
まだはたち[#「はたち」に傍点]に足らぬ女の
手を引いて
戻って来たのは
皆さんの前に申しわけがないことがあるから
それで頭を丸めて
お詫《わ》びをする
といったような浮気の沙汰《さた》ではありません
同じ女を連れて来るにしても
マドロス君と
七兵衛おやじとは
性質が違いますよ――
ウスノロのマドロス君と
老練家の七兵衛おやじと
同じに見ちゃあいけません
すなわち
マドロス君が
女をつれて逃げてまた戻ったのは
つまり、だらしのない駈落《かけおち》なのさ
七兵衛おやじのは
まさか
掠奪でも
誘惑でも
駈落でも
ありますまい
くわしくは本人に聞いていただきたい
[#ここで字下げ終わり]
 ここまでは、内容に於てほぼ無事でしたが、ここで完全にバレてしまって、
[#ここから2字下げ]
坊主
間男《まおとこ》して
縛られた
頭がまるくて許された
[#ここで字下げ終わり]
 この時、船中の警視総監たる田山白雲のために、
「コレ……」
と一喝《いっかつ》を食いました。白雲の一喝に怖れをなした茂公は、調子をかえてテレ隠し、
[#ここから2字下げ]
土佐の高知の
播磨屋橋で
坊さんかんざし買うを見た
坊さんかんざし何するの
頭が丸くてさせないよ
頭が丸くてさせないよ
[#ここで字下げ終わり]
 しかし、聞きようによっては、この歌が七兵衛の帰着を歓迎する音楽隊の吹奏のようにも聞えて、船中の人気をなんとなくなごやかなものにした効果はたしかにありました。

         二十九

 七兵衛のつれて来た若い娘は、お喜代さんという村の娘でありました。
 この娘と、七兵衛との間には、言うに言われぬ複雑微妙なものがある。ただ単に、長の旅の途中で娘を一人拾って来たというだけの、単純な受渡しにはなっていないことは、前の巻にくわしく物語られているはずです。
 いずれにしても、女の少ないこの海上王国に、ただ一人の、しかも、張りきった健康と年齢とを持った、生気満々の若い娘を一人拾って来たということは、特に一つの大きな収穫と見るべき理由もあるのです。それはそれとして、これで船の全員が揃《そろ》いました。当然|来《きた》るべき人と、充たさるべき人が全部集まりました。人が集まってみると、その次は物です。ここで、今後の長期航海に堪えるあらゆる物資を集めて、或いは新たに積入れ、或いは極度の補充をして行かなければならない。その物の補充に於ては、あらかじめ駒井船長が多大の心配を持っておりました。
 何となれば、船籍の不明瞭なこの船へ、人が恐れて物資を供給しないことになるかも知れない。よし供給してくれたにしても、その限度というものがある。釜石は悪い港ではないけれども、何を言うにも中央から遠い、ここで補給すべくして、出来ない品がありはしないか。
 そういうものは、今後どこで補充するか、というような先から先までを、駒井が頭に置いて、補給の準備を命ずると、案外にも非常に迅速に且つ多量に、ほとんど立ちどころに補給の道がつきました。代金も相当、或いは相当以上にしはらったには相違ないが、さりとて、この迅速豊富なる供給ぶりは、ただ金銭だけには換算し難い好意というものが含まれていることを、駒井船長が認識せざるを得なかったけれども、しかし、自分の船が、知らぬ他国の人から疑惑を蒙《こうむ》ろうとも、好意を寄せらるべき因縁《いんねん》は持たない。それを、こんなに土地の人が好意を以てしてくれることは、おそらくこの土地柄なんだろう。この土地の気風が、おのずから他国の客を愛するように出来ている、その人気の致すところかも知れない。駒井はその辺に疑惑を持ったけれども、これは悪い方の疑惑ではない、極めて素質のよい疑惑でありました。
 こうなった以上は、この港に久しく留るべき理由はない。万端がととのうて、即時出帆ということになりました。
 船が動き出した時に、陸上に、意外にも多数の見送りの人が現われました。ズラリと海岸に並んで、こっちへ向って笠を振り振り、さらば、さらばをしている。そこで、駒井をはじめ、船の者がまた不審がりました。あの人たちは、たしかに人を送るの情を現わしているようだが、さて送られる人は誰だ。我々は、ここに仮りの碇泊こそしたけれども、送らるべき知己を持たない。他に船出する人があってそれを送るべく、あそこに立っている。この船が大きく、あの人たちの送る舟が小さいがために、こちらが好意を独占するような形式におちているのではないかと、港の周囲を見渡したが、自分たちの船のほかに、それと覚しい舟の出帆は一ツも見えない。そこで、こちらは戸惑いをしました。我々を送ってくれるならばその好意を受けて、これに
前へ 次へ
全89ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング