ここに転載して、反芻《はんすう》を試みてみると――
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さて皆さん
これを現在
わたしたちが
一王国となして
乗込んでいる
この無名丸の社会と
引きくらべてみたら
どうでしょう
実際問題ですよ
御承知の通り
この船には
男が多くて女が少ないです
男は美男子の駒井船長をはじめ
豪傑の田山白雲先生
豪傑の卵の柳田平治君
だらしのないマドロス君
房州から来た船頭の松吉さん
同じく清八さん
同じく九一さん
月ノ浦から乗込んだ平太郎大工さん
同じく松兵衛さん
漁師の徳蔵さん
それから、今はいないが、いつかこの船に帰って来るはずの
何の商売だかわからない七兵衛おやじ
それに、若君の登さん
つんぼの金椎君《キンツイくん》
さて、しんがりに
かく申す清澄の茂太郎も
これで男の端くれなんです
かく数えてみますると
この無名丸の中には
男と名のつく者が
都合十三人
それなのに女というものは
登さんのばあやさん
お松さん
それからもゆるさん
その三人きりなんです
十三人の男に
三人の女――
もし駒井船長が
理想の、人のいない島を求めて
そこに一王国を作るとしたら
いま申す
世界のドコかの国と同じような
女が不足の国になります
…………
…………
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右の茂太郎の即興歌は、船が回航の途上、まだ釜石の港に入らない以前の出鱈目なのですから、船が安着してみると、ここに多少の人員の増減が考えられなければならない。増減と言い条、これ以上の減は、船の操縦の必要上、許されないと言うべきだから、増が有り得れば有るのです。果して、この釜石の港で、この船に更に二人の人を加えることになりました。
二人の人といっても、その一人は、すでに茂太郎の口頭に上っている人で、すなわち右の出鱈目の第二十三句から第二十四句までに表現されている――それから、今はいないが、いつかこの船に帰って来るはずの、何の商売だかわからない七兵衛おやじ――その人であります。七兵衛が無事に、この港でこの船へ戻って来ました。清澄の茂公をはじめ、この老練家の怪おやじを船に迎え得たことの喜びは申すまでもありません。おそらく無事では帰れまいかとの予想で心配しきっていたその人が、無事で帰って来たのだから、家出をした親爺が無事で帰って来てくれたように、船中一同が喜ぶのは無理はありません。
しかし、無事で帰って来たとは言い条、無事なのはその身体《からだ》の健康だけで、外面は絶大なる異変を以て、見る人の目を驚かさずには置きませんでした。船へついて、はじめて笠を取った七兵衛の頭を見ると丸坊主でした。それに、袈裟《けさ》こそかけていないが、首に大きな一連の数珠《じゅず》をかけておりましたことが、誰をしも、七兵衛らしくない七兵衛だと驚異がらせずには置きません。
それと、もう一つは、この不可解な新しい老発意《ろうぼち》が、張りきった若盛りの田舎娘《いなかむすめ》を一人携帯して来ていることです。七兵衛おやじだってまだ五十にはならないのだから、男やもめに花が咲いて、長い道中の間、艶種の一つも作るということは、或いはお愛嬌みたようなものかも知れないが、いい年をして人前へ若いのを引っぱり込んで来たと言えば、七兵衛らしくもないだらし[#「だらし」に傍点]なさを感ずるけれども、とにかく、頭を丸めてしまって、そうして数珠をかけながら、そうして、若いのを引っぱって来たものですから、まるで判じ物のようでありました。
そこで、清澄の茂の野郎の遠慮のないすっぱ抜きが、誰でもの人の驚異と疑惑とを代表して発表されました――
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帰った
帰った
七兵衛おやじが帰った
嬉しい
嬉しい
七兵衛おやじが
やっとこさと戻った
戻ったと思ったら
やっとこさと丸坊主
丸坊主
丸坊主
七兵衛おやじが丸坊主
やっとこさと丸坊主
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七兵衛が、船へ上って、乗組の者に挨拶《あいさつ》をするために笠を取った、その途端にこの歌が飛び出たものですから、一同がドッと笑い、七兵衛が思わず苦笑しましたが、その苦笑のうちには、言い知れぬ苦闘の含蓄があって、笑いかけた一同のものを笑えないものにしました。だが、茂公の即興はひるまない。
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皆さん
七兵衛おやじが
坊主になって
若い女の
手を引いて戻って来ましたよ
これには
仔細のあることでしょう
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なんてませた言い方だろう、もう慣《なれ》っ子《こ》になっているから、船中同士はさのみ驚かないけれど、七兵衛につれられて来た若い女その人は、真赤になりました。ただでさえ、もう上気しきって、わくわくしているところへ、無遠慮にこんな歌を浴びせられたものだから、真赤になるのも無理はありません。
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