車とに積めるだけ積んで、麓へ下って、春照の火の見の下に待機しているんだ。一手は留守を守ってくれ給え、留守といっても僅かの間だ。そのほかは、馬と車を以てできるだけの米と銭とを麓へ運ぶことに全力を尽すのだ、無論、拙者も同行する」
青嵐居士は、五十人の手勢を日頃の訓練通りに部隊分けをして、一手は第一線に、一手は留守、しかして出動軍の第一線に自分が立つというのです。しかし、戦争をするつもりの出動でないことは、一同の胸によく納得されている。うちの大将は智将であるから、徒《いたず》らに戦争をしない。人数の総動員も、物資の総動員も、みな緩和の目的のために費されるのだということを、王国の民が皆、納得しながら勇み立つ。その勇み立ち方が、平和に向っての希望ある勇み方で、戦争に対する捨身的な勇気でないことは、臨時留守総理の器量に向っての無言の信任でもありました。青嵐居士は留守師団長、留守師団長と言い慣らされてはいるが、事実、この王国に於ける現在の地位は、師団長たるにとどまらない、むしろ臨時総理であり、女王代理であり、胆吹一国の興廃はその肩にかかっていると見るべきであります。
かくて、この一行が繰出されました。青嵐居士は正装はしているが、決して武装しないことを以て見ても、この出動の目的が平和にあって、戦争にあらざることがよくわかる。それがまた味方の民心を、安静鎮定せしむること偉大なる効果もよくわかる。
だが、しかし、この通り物資の総動員をして山を繰出す以上には、この物資をどう扱うのだか、それは味方の誰にもわからない。この人員と物資とを以て、一揆に参加するのだとは誰も考えない。また、一揆の不安から、人間と物資の避難のために繰出したのだとも考える余地がない。逃げるために、隠すための出動ならば、後へ留守を残して置くはずもなし、また、こんなに派手に正面を切って逃げ出すという手はない。
策戦の方針は、臨時総理の胸一つにあって、王国民は測ることができない。測ることはできないけれども、全幅の信任はある。青嵐居士は徒歩《かち》で、一行について、かなり寛《くつろ》いだ気分で、山を下りつつあります。その途中も、国民を相手に平気で談笑をしているし、車の動きが悪い時は、後へ廻って後押しの腕貸しをするかとみれば、少し疲れた、馬へ乗らせてくれと、引かせた副馬《そえうま》に跨《また》がって少し歩ませてみては、いいかげんで馬上から飛び下りて、一行と共に談笑しながら徒歩立《かちだ》ちになるという行進ぶりです。
やがて、相当の時を費しての後に、春照村の火の見のところまで一行が到着すると、その程よきところへ、約二百俵ばかりの米を積み上げさせ、別に盤台にのせて夥《おびただ》しい緡銭《さしぜに》を積み上げさせました。金額としてはそう驚くほどではないにしても、銭に換えてこうして積み上げると、田舎《いなか》の者の眼を驚かすに足るほどの夥しさでした。
「さあ、これでよろしい、あとに残るものは五人だけでよろしい、他の一同はこのまま山へ引上げたり。そうして、平常通りに持場持場で仕事をしていること」
青嵐居士はこう言って、一行の大部分を館《やかた》へ帰らせてしまい、右の銭と米とは、五人の若い者を選抜して張番をさせ、自分はそのまま馬に乗って、いずれの方向へか打たせて行きました。
二十八
ゆくりなくも、青嵐居士から駒井甚三郎のことが口に出たのを機会として、あの人及びその周囲の一行の消息に向って筆を転ずることに致します。
読者の便宜のためというよりは、書く人の記憶の集中のために、まず地点を陸中の国、釜石の港に置きましょう。人間のことを語るには、まず地理を調べてかかるのが本格です。陸中の釜石の港に、今、駒井甚三郎の無名丸が碇泊している。この船が陸前の松島湾の月ノ浦を出てから四日目、とにかく、船は安全に北上して、釜石の港まで到着することができました。
駒井甚三郎の無名丸は八十|噸《トン》、六十馬力の、駒井独創の和洋折衷形なのであります。人間で言えば五十人の人を乗せるに適している。無論、機関の設備はあるが、それは港を出る時と、港に入る時の少し以前だけに石炭を使用することにして、大海に出てからは、帆前の風力を利用することになっている。大砲も一門あって、その他の武器も護船用だけのものは備えている。農具工具も着陸早々の実用だけのものは備えている。
さてその次には、この船の中に現在乗込の船員と船客の全部についてなのですが、無論この船に於ては、船員すなわち船客なのでありますから、人と名のつくものの全体を言えば、すなわちこの全船の人別がわかるのです。これは、いつぞや清澄の茂太郎が、出鱈目《でたらめ》の歌にうたわれ出たことがある。よって便宜のために、あのでたらめ[#「でたらめ」に傍点]を
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