りとうげ》からこの山の下三里がところまで押しかけて、そこでかたまっている一まきが、こいつが剣呑《けんのん》だということを御承知願えてえんでございます、そいつがみんな胆吹へ、胆吹へと言っていましたぜ、あの勢いじゃ、明日が日にもこちらへ押しかけて来ると見なくちゃなりませんぜ――そうですなあ、人数はざっと三千人、胆吹へ籠《こも》って旗揚げでもする意気組みで、なんでも胆吹山へ籠れ籠れと、口々に言っているのを聞いて参りましたよ、なるほど、不破の旦那がおっしゃったのはここだなと思いましたよ、あの同勢に、ここへまともに押しかけられた日にゃ、王国も御殿もあったもんじゃあござんせんぜ、それが心配になるから、不破の旦那が、青嵐の親分へ注進をするように、こちとらを見立てた眼は高いと、がんりき[#「がんりき」に傍点]がはじめて感心を致しましたが、青嵐の親分と言ったのは悪うござんしたかね」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の注進を聞きながら、眼は三人の青年の方を見て青嵐居士は、
「それを聞いて安心した、では、事情がわかったから、諸君は出馬を見合わせてよろしい、持場へ戻ってくれ給え、別にまた仕様があるから、それまで平常通りに仕事をして、待機していてくれ給え。がん[#「がん」に傍点]君とやら、お使ご苦労――まあ、こっちへ来て足を洗って、飯でも食い給え」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は勝手が少し違うように思われてならない。青嵐の親分と言われたから、でっぷり肥った、長半纏《ながばんてん》を引っかけて、胴金入《どうがねい》りの凄いやつでも引提げながら悠々《ゆうゆう》と立ち出でるかと思うと、これは寺子屋の師匠そっくりの長身温和な浪人風――気分から、応対まで、すっかり当てが違って、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、またしてもテレ加減を隠すことができない。案内されるままに足を洗って、客座敷へ通されて、本膳で飯を食わされた時に、存外|贅沢《ぜいたく》だなあと思いました。
 一方、本館《ほんやかた》へ現われた青嵐居士は、自分も羽織袴で両刀を帯している上に、直ちに王国中に向って触れを下して、総動員を命じました。

         二十七

 総動員をしたからといって、自分が留守師団を指揮して、これだけの手勢を以て、一揆《いっき》の大軍に当ろうとするものでないことはよくわかっています。
 いかに胆吹王国といえども、これだけの実力を以て大軍に向うなどは、暴虎馮河《ぼうこひょうが》の至りです。よし、それに相当る大軍を保持していたからにしても、この人は戦をしかける人ではない、むしろ緩和に当ることを得意とする人であることは、姉川の時の水合戦の裁きぶりでもよくわかっている。
 五十名の胆吹王国の総動員をしたのは、戦わんがためでなくして、和せんがためであるに相違ない。和するというのは、つまり、こちらへ向って無遠慮に侵入の気配にある一揆暴動の逆流を、緩和転向せしめるためでなければならぬ。あの勢いを真正面からこの山へ引受けてしまった日には、独逸軍《ドイツぐん》の白耳義《ベルギー》に於けるように、損害と犠牲のほどは目も当てられないことはよくわかっている。群集共の間には、まだ、胆吹山あるを知って、この王国あるを知らないものが大部分に相違ないが、来てそうしてこれを知った日にはたまらない。せっかくここまでの経営が、瞬く間に掠奪と、犠牲の壇上に捧げられてしまい、そうしてこの本館も、御殿も、彼等暴民共の一炬《いっきょ》に附されるか、或いは山寨《さんさい》の用に住み荒されることは火を見るように明らかである。
 留守師団長としての自分の重責はそこにある。この際、いかにしてこの王国を守るかということは、いかにして一揆の大勢《たいせい》をそらすかということでなければならぬ。
 そうでなくても、胆吹は古来、山賊の類《たぐい》に目ざされる山なのである。ややもすれば、胆吹へ籠《こも》るぞと言いたがられる山なのである。こう大勢が傾いて来て、まず先陣がこの山の一角を占拠したということになると、風を聞いて、あとからもあとからも、近江一円の一揆共には限らない、遠近の国々から不逞《ふてい》の徒がみんなこの山に集まって来て根城に仕兼ねない。事は重大で、そうして、焦眉の急に迫っている。留守師団長として、ここで策をめぐらさなければ、めぐらす時がない――青嵐居士が正装をして両刀を提げて立ったのも故なしとはしないのであります。
「君たち、一手は手を揃《そろ》えてできるだけのたきだしをしてくれ給え、それから、有らん限りの米を積下ろしてくれ給え、庫《くら》には三日分ほどの量を残して置けばよろしい、それから最近、長浜で両替をしてきた銭の全部を出して庭へ積んでくれ給え、その数量は拙者が行って読むから、それが済んだら、直ちにそれを馬と
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