られて、不破の関守氏が、
「君よりうまいだろう、さっきから見ていると、君のはもの[#「もの」に傍点]になっていないよ、わしなんぞは書生時代からこれで勉強したもんだ」
「へえ、そうですかね」
「君ぁ、流しをさせちゃうまい、剃刀を使わせても一人前だが、米搗きはまずいよ、生れは越後じゃあるまいな」
「恐れ入りますねえ――どうも場違いなものでござんして、米搗きの方はさっぱりいけません」
「そうだろう、君は関東もんだろう、へたをすると江戸っ児だ、頼まれても江戸からは米搗きは来ないはずだ」
「冷かしちゃいけません、旦那」
「どうして、お前、こんなところで米搗きなんぞをやるようになったのだ」
「旦那、まあ、お茶を一つおあがんなさい」
 三公が炉の鉄瓶を卸して、番茶をいれてすすめましたから、不破の関守氏も地がらから下りて、ふたり炉辺に物語りをはじめ出しました。

         二十

「三ちゃん、このお茶うけはうまいねえ」
「これが海道名代、走餅《はしりもち》というやつなんでござんして」
「ははあ、これが走餅か。この間、名所の走井《はしりい》を見ようとしてたずねてみたら、もう人の垣根の中に囲われてしまっていたっけ、走餅はないかと聞いてみると、本家は大津浜の方へ引越したということで、とうとう名物の旨《うま》いのを食いそこねたが、ここでめぐり会ったのは有難い」
「どうぞ、たくさんおあがりになって」
「うまいなア」
「自慢でござんしてな」
「自慢はいいが、盗み食いはいけねえぞ、三公」
と不破の関守氏の言うこと、いささか刺《とげ》があったので、三公が仰山らしくあわてて、
「飛んでもねえ、盗み食いなんぞするんじゃございませんよ、ふ、ふ、ふ」
と含み笑いをしました。
「穏かでないぞ」
 関守氏からたしなめられて、三公は、
「だって旦那、据膳《すえぜん》を食べたからといって、盗み食いとは言えますまい、ねえ、先様御持参の御馳走をいただく分には、罪にはならねえと思うんですが、どんなものでしょう、一つ御賞翫《ごしょうがん》なすってみていただきてえ」
と言ってにやにやしながら、関守氏にお盆の走餅をすすめます。
 関守氏は、その走餅の箸を取らずに、いささかくすぐったいような面《かお》をしてながめているだけです。今、お盆をつき出してくれた女の子は、面を見ないから誰それとは言えないが、ここに群がっている丸髷《まるまげ》のうちのどれか一つに相違ない。この野郎、昨日今日ここへ雇われたと言いながら、もうそのうちの一人をもの[#「もの」に傍点]にしている、度すべからざる白徒《しれもの》だという面をして、三公と、お盆の餅とを見比べていたが、この野郎はお先へ御免を蒙《こうむ》ってしまって、走餅を一つ抓《つま》んであんぐりと自分の口中へほうり込み、
「うめえ、うめえ、走餅ぁうめえ、腹のすいた時にゃ何でもござれだ」
 とんちんかんなことを口走り出した。時に関守氏、
「三公、貴様は怪しからん奴だ、餅どころか、人間まで甘く見ている」
「どう致しまして」
「昨日、あの風呂場で拙者の胴巻をちょろまかした上に、それをぬけぬけとまた、お忘れ物だと言っておれの眼の前へ持って来やがった、いけ図々しいにも程のあったものだ、人を食った振舞とはそういうのを言うのだ」
「へ、へ、へ、へ、人を食った覚えなんぞはございません、餅を食っているんでげすよ」
 三公は、今となっては決して悪怯《わるび》れていない。人を食ったのはこっちではない、かえってこの人に臓腑の底まで見破られてしまったから、破れかぶれという気分でもあるようです。関守氏は少々油を絞り加減に、
「なぜ、あんなツマらないことをしたのだ、盗むくらいなら盗み了《おお》せたらいいだろう、わざわざ人の前へ持って来て吐き出して見せるなんぞは、憎い仕業だ」
「いや、そんなわけなんじゃございませんよ、実はねえ、旦那だから申しますがねえ、わっしも本来は箸にも棒にもかからねえやくざ野郎なんでして、事情があってこのところへ閉門を仰せつけられたんでございますが、どうにも動きが取れねえから、こうやって米なんぞを搗《つ》いてるんですが、もうやりきれません、逃げ出しちゃおうと思ったんですが、逆さに振っても血も出ねえ昨日今日、当座のお小遣《こづかい》として、あなた様の胴巻をそっくりお借り申すつもりで、三日前からちゃあんと睨《にら》んでいたんですが、隙がございません、そうこうしているうちに、昨日お風呂にお入りのあの時、この時なんめりと首尾よく頂戴に及んだんですが、当事《あてごと》がすっかり外れちゃいましてな」
「思ったより少なかったか、路用の足しにもならんと、手に入れてみてはじめて呆《あき》れたか」
「そうじゃございません、あれだけあれば当座の路用には充分でござんすが、相手が少々悪い
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