見ますと、小屋があって、その中で、地がらの米を舂《つ》いているのが例の三助の三蔵でありましたから、言葉をかけました、
「三蔵どん、御精が出るね」
「はい、有難うございます」
 野郎は頬かむりをして、しきりに地がらを踏んでいましたが、本来この小屋の一方には、渓流を利用して小さくとも水車が仕掛けてあって、一本ながら立杵《たてぎね》が備わっている。水力でやりさえすれば足で踏まなくともいいことになっているのに、わざわざ時間と労力を空費しているとしか見られないものですから、不破の関守氏がたずねました、
「どうして水車を利用しないんだね、万力《まんりき》で搗《つ》けば早いだろうに」
「それが、旦那、そういかないわけがあるんでござんしてな」
「車がこわれたのかい」
「そうじゃございません」
「当時流行の渇水というやつかな」
「なぁーにごらんの通り一本杵《いっぽんぎね》を落すだけの水はたっぷりあるんでございますがね」
「じゃ、どうして水車をつかわないんだね」
「まあ、聞いておくんなさいまし、水車があっても、水車を使ってはならない、水車|御法度《ごはっと》というお触れが出たんでござんしてね、それで、利用のできる器械を廃《すた》らせたままで、わざわざこうして足搗《あしづ》きをやらなきぁならねえ世界になったんでございます」
「とは、またどういういきさつで」
「こういうわけなんでございますよ」
 三助の米搗が説明するところによると、以前は、やっぱりこの地方で、米搗きが頼まれて越後の方からやって来たものだが、近頃になってこの藤尾村というのへ、善造と五兵衛という二人の者が水車を仕掛けた、なにぶん、水車が出来ると、人間の労力より安くて早いこと夥《おびただ》しい。そこで善造と五兵衛がはじめた水車が、みるみる繁昌して、ここへ籾《もみ》を持ち込むものが多くなり、その結果、市中の搗米屋《つきごめや》と米踏人《こめふみにん》が恐慌を来たして、我々共の職業が干上るから、水車を禁止してもらいたいと其筋に願い出た。そこで水車が禁止されることになった。せっかくの文明の利器がかえって忌《い》まれて、人間労力の徒費に逆転することになったというわけになるのだが、もう一つ水車禁止の理由には、ここの水車へ持ち込んで米を精《しら》げることの口実で、実は京都へ向けて米の密輸出を企てるものがある。いったい京都の米は近江の一手輸入になっている。一年中この近江から京都へ供給する米が、豊年に於ては七十五万俵、凶年には四十万俵、平均のところ無慮五十万俵の数になっていて、米を京都に入れるにはいちいち上《かみ》の番所の検閲を受けて、切手口銭を納めるということになっている。ところがこの藤尾村に水車が出来てから、前記の如く、ここへ持ち込んで米を精《しら》げてもらうという口実の下に、京都へ米を密輸入して、切手口銭のかすりを取るというやからが出て来た。その取締りのために、水車禁止の別の有力な理由が出て来たのである。その上に俵物はいっさい小関越えをしてはならないということになった――そのとばっちりで、ここでも水車を仕かけるには仕かけたが、それを遊ばして置いて、こうしてわざわざ足踏ロールに逆転しているのだという説明を、三蔵から聞いて、不破の関守氏は、
「なるほど、それは機械文明に反抗する人間労力の逆転というものだ」
とひとり合点をしました。
 それから二人の会話が少し途絶《とだ》えていると、その時、不意に腰障子の外から、
「三ちゃん、いる、お茶うけよ」
 姿は見えないで、窓の外から、そっと言葉をかけると同時に、お盆へ何かのせたものを突き出したので、米を搗《つ》いていた三蔵が、やや狼狽気味《うろたえぎみ》で、
「いけねえ、いけねえ、お客様だよ」
 そうすると、何かのせたお盆を中へ突込んで置いて、姿を見せず、何とも言わずに、あたふたと行ってしまう。残る足音を聞いて、三蔵がテレきったのを、不破の関守氏が、ちょっと苦笑いをして、
「何か、御馳走が来たようだね」
「へえ、どうも」
と米搗きが、また一方ならずテレている。
「御馳走が来たら、ついでに、いただいて行こうじゃないか」
 関守氏は人が悪い、炉辺へ侵入して来て、
「三ちゃん、お茶をいれないか、わしが代って米の方を受持ってやる」
「いや、どうも、恐縮でげす」
「遠慮することはないよ、せっかくお茶うけが来たんだから、お茶をいれな、米はわしが搗いてやるよ」
と関守氏が、臼《うす》の方へちかよって促すものだから三公も、
「じゃ、お茶を一ついれますかな」
「そうしなさい、拙者もこれで米搗きは苦労したものだよ、昔取った杵柄《きねづか》だよ」
と言いながら、三公の踏み捨てた地がらへ乗りかかって踏みかけると、その調子が板についている。
「うまいものですな、旦那」
 三公から賞《ほ》め
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