良斎がよく知っています、我々無関門の鑑賞者は、まずその歌の持った無限に大きな音階と、姿勢に打たれるだけでよろしい、和歌といえども、大きなものになると、誦《しょう》すべくして解すべからずでよろしい。たとえば、他に人麿の歌にしてからがです、
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ともし火の
明石大門《あかしおほと》に
入らむ日や――
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 吟じてごらんなさい、声は千年の深韻を以て響き、調べは千古の心に微妙に沁《し》み渡るです。拙者はこれがまた大好きな歌の一つでしてね、これを吟ずると陶酔するです。ところが、この歌の全体の解釈に至ってみると、人麿が西海から帰る時の歌だか、西国へ向って出て行く時の歌だか、その帰趨《きすう》が甚《はなは》だ不明瞭を極めてくるという次第ですが、そういう解釈の如何《いかん》にかかわらず、その想に驚き、調べに酔わされることは渾心的《こんしんてき》です」
 お銀様を前にして、こういう歌物語をはじめている。広長舌は必ずしも弁信法師の専売ではない、ということはわかるのですが、いったい今時、船をこんなにまで急がせながら、乗り手ときてはこの通りの悠長さ、それに第一、女性の方は女王であり、男性の方はその総参謀長であるべき身が、二人ともに山を出てしまったのでは、留守のことも思われるではないか。
 そもそもこの二人は、何の要あってか、かくも急行船に乗り、いずれの地に向って走り行くものか。沿岸に向って、遠く大津朝廷の故事を偲《しの》び奉り、或いは藤樹先生《とうじゅせんせい》の遺蹟に巡礼するというようなことをするには、他にその人もあり、時もあろうというもの。行きがかり上、風流をこそ談ずるらしいが、少なくともこの二人が舟を急がせて行く以上は、左様に漫然たる遊歴の旅ではないにきまっている。
 そこで、この行程の底を割ってしまえば、実は不破の関守氏のたっての献策で、お銀様を父親伊太夫に会わせにやるのです。
 父といえども、来《きた》り見るなら格別、行いて礼をすべきなんらの心構えを持たないという女王様を、不破の関守氏が説いて、口説《くど》き落して、自分が介添《かいぞえ》となって、いま大津の宿に逗留の日を送っているという父の伊太夫を、これから訪問せしめようとすることに成功して、善は急げと急ピッチを上げさせた、これがこの早手の飛ぶ使命の全部なのです。
 訪ぬべき当の主《ぬし
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