ら、不意を食った鐚が驚いたの驚かないの――
「ああ、痛! 暴力、これは乱暴!」
 歪《ゆが》んだ頬っぺたを押えながら、三尺ばかり飛び上りました。

         六十一

 上来、この「京の夢、おう坂の夢」の巻に、書き現わし得たところと、書き現わそうとして現わし得なかったところを、ここに個人別に収束してみますと――
 藤原の伊太夫と、女興行師お角は、旅中の旅で、近江の国の大津から竹生島へ詣《もう》でて立帰り、逢坂山の大谷風呂で、お銀様及び不破《ふわ》の関守氏と会見することになっている。琵琶の湖水に溺れた竜之助とお雪ちゃんとは、伊太夫の船に救われたが、お雪ちゃんは山城田辺の中川健斎方へ引取られることになる。竜之助は大谷風呂にいて、夢魂夜な夜な京に通う。
 道庵先生は相変らず泰平楽を並べて、酒に隠れているが、安然塔の発見から、旧友健斎老と会見、これもお雪ちゃんと前後して、山城田辺へひとまず身を寄せることになる。青嵐居士《せいらんこじ》は胆吹王国の留守師団長ということに納まる。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は大津と胆吹の間の飛脚をつとめる。
 一方、駒井甚三郎は無名丸を擁して、陸中の釜石から再び太平洋上へ浮び出でる。船中には田山白雲、茂太郎、金椎《キンツイ》、柳田平治、お松その他の乗組は月ノ浦を出でた通りだが、釜石から新たに七兵衛が若い娘をつれて乗込む。しかもその七兵衛は、俗体入道の変った姿になっている。洋上に出た駒井船長は、北上せんか、南進せんかに迷う。この巻に、最も多く写そうとして[#「写そうとして」は底本では「写そうして」]写し得なかった京洛天地の夢は、僅かに近藤勇、伊東甲子太郎一派抗争の血雨の一段にとどまり、時代は幕末から維新に向って大きく枢軸が移ろうとする。その時代の横波を食った神尾主膳の体勢までが動揺する。時代に閑却の鐚めが芸娼論を振廻すも一興。
 それから、この巻には全く影を見せなかったものに、兵馬と福松――その道行《みちゆき》も白山に到り着かんとして着かず。横浜方面では異人館とシルクとの取引もそのままになっている――美しき銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方と、梶川少年と、伊都丸少年とが、一は名古屋城下に戻り、一は阿蘇山麓に向う一条は余派の如くして、しかも従来の伏線の如く、未解決のままで農奴の巻に留まっている。
 南条力、五十嵐甲子雄の壮士は風雲の間
前へ 次へ
全178ページ中177ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング