に埋没して、これも久しく姿を見せない。
弁信法師も広長舌を弄《ろう》することなく、宇治山田の米友も啖呵《たんか》を切る遑《いとま》が与えられない。
これを大約すると、一山に拠《よ》るものと、海に漂うものと、現実に生きるものと、夢に遊ぶものと、高く霊界に標致せんとするものと、漢は漢、胡は胡、上求《じょうぐ》は上求、塵労は塵労、これを東隅に得て桑楡《そうゆ》に失わんとしつつあるものもあるようです。
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かくして明治の末に起稿し、大正の初頭に発表し、昭和十四年の年も暮れなんとする。わが「大菩薩峠」も通巻無慮九千三百二頁、四百七十万字、悪金子の口吻によりてこれを前人に比較すれば、すでに源氏物語の六倍、八犬伝の約三倍強の紙筆を費してなお且つ未完。量を以てすれば哀史、和戦史も物の数ではないということになる。
起稿の時、著者青年二十有余歳、今年すでに春秋五十五――霜鬢《そうひん》ようやく白を加えんとするが、業縁なかなかに衰えず――来年はこれ、皇紀の二千六百年、西暦千九百四十年、全世界は挙げて未曾有《みぞう》の戦国状態に突入しつつある――頑鈍一事の世に奉ずるに足るものなきを憾《うら》みつつも、自ら奮うの心を以てここにこの巻の筆を置く次第になん。時|恰《あたか》も臘八《ろうはち》の日。
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底本:「大菩薩峠19」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年9月24日第1刷発行
2002(平成14)年2月20日第2刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 十一」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
「大菩薩峠 十二」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年4月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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