のこと。
 これは大谷風呂ではない、関の清水の鳥居の下から、ふらりと現われた一人の武士がありました。笠をかぶって、馬乗袴のマチの高いのを穿《は》いて手甲《てっこう》脚絆《きゃはん》のいでたち、たった一人、神社の石段を下りて、鳥居をくぐって、街道へ歩み出しました。
 その時分、もう、さしもの街道にも人通りは絶えていたのです。右は比良、比叡の余脈、左は金剛、葛城《かつらぎ》まで呼びかける逢坂山《おうさかやま》の夜の峠路を、この人は夢の国からでも出て来たように、ゆらりゆらりと歩いていました。
 どうも、この骨格から、肩越し、足もとに見覚えがある。笠のうちこそ見物《みもの》だと思って心配するがものはない、前半の一文字笠が、その瞬間、紗《うすもの》のように透きとおって、面《かお》が蛍の光のように蒼白《あおじろ》く夜の色を破って透いて見えるのです。さては思いなしの通り、この人は机竜之助でありました。
 絶えて久しい、この人の姿を逢坂山の上で見る。いつのまに健康を取戻したか、姿勢はしゃんとして、しかも、足許がきまっている。杖の力を借りないで、百里も突破する体勢になっている。眼は癒《なお》ったのだろう。その証拠に、今、紗のように透き通った笠の前半を見ると、切れの長い眼が、真珠の水底に沈んだような光を見せていた。関の明神の下で、草鞋《わらじ》の紐を結び直したあの手もとを見てもわかる。眼の不自由な者に、あんな手に入った扱いはできない。
 街道へ出て、人なき大道をこの人は、真直ぐに京山科方面へ向って、のっしのっしと歩んで行くのです。
 その足どりは甚だ軽く、腰に帯びた大小の蝋色《ろういろ》もおだやかで、重きに煩う色はない。
 行き行きて追分の札の辻まで来る。ここは朝のうち、伏見街道を行くお雪ちゃんと、両国手とをお角さんが送って来て、さらばさらばをしたところ。
「柳は緑、花は紅」の石標に腰打ちかけた机竜之助、前途を見渡すと夜色が京洛に立ちこめている。昼間に見たところでは、追分の辻から左右ともに、人家が櫛《くし》の歯のように並んでいたと覚えていたが、真夜中というものは、時代を一世紀も二世紀も逆転して見せるもので、風景もおのずからその時代の風景ではない。右手にながめる比良、比叡の山つづき、左にわたる大和、河内への山つづき、この間は一帯の盆地、京洛の天地はいずれのところにあるや、山科、宇治も見渡
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