感激の力のある言葉を発しました。これに力を得たお角さんは、
「ええ、あの先生がね、こちらへ参っていまして、こちらの先生と昔からのお友達なんだそうでございますよ、二人のエライ先生がお附きだから、全く親船に乗ったようなもので、あなた様もお仕合せです」
と励みをつけました。事実、この二人の国手《こくしゅ》がついていれば、大丈夫保険附きのようなものですから、お角さんの口前とばかりは言えません。しかし喜ぶべきはずのお雪ちゃんは、まだ思う存分に意志の発表ができるほど、気力が回復していないと見えて、いったんは道庵先生と聞いて、いささかながら昂奮の気色が見えましたが、お角さんがはずむほど、それほどはずまないようです。
そうして、少し身動きをして言いました、
「それは御親切に有難いことでございますが、どうもわたくしは、知っているお方にはお目にかかりたくない心持が致しまして、このままずっと大阪へ行ってしまいたいと存じます、いいえ、こちらの先生の田辺とやらへ御厄介になって、それから大阪へ参るなら参るように致したいと思います」
と、やっとお雪ちゃんがこう言いました。
それにお雪ちゃんは、道庵先生とは至極心安い。胆吹の王国で、この先生といっしょにハイキングをやったこともあれば、人生問題を論じ合ったこともある。至極イキの合う先生ではあるが、今となっては、自分を知っている人のすべてに会うことを、悪意でなく、避けたがっている。その気分をお角さんも認めたものですから、
「それもそうですね、ではあなたは道庵先生とは別の心持でいらっしゃい、お雪様だか誰だかわからないようにしてお送りしますから、蔭にはいつも両先生がついていると、心強く思っていらっしゃい」
そこはお角さんも心得ている。道庵という先生は、至極出来のいい先生ではあるけれども、何をいうにも、あのがさつ[#「がさつ」に傍点]な気象である。むやみにいい機嫌で、病人の傍でさわがれた日には、病人のためにならないこともある。且つまた、この病人は、全く素直であるだけ、それだけ油断がならない。いつまた昂奮して、再び死を急ぐような気分にならないとも限らない。心中者には特にそういう気分は有りがちで、まあよかった、人間一人を取戻したと思ってホッと安心している、その隙《すき》をねらって飛び出して本望を遂げてしまうという例もずいぶんあることですから、その辺は健斎先
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