いお天気でがすよ。時に、この塔はこりゃ、いったい何でござんす」
と道庵先生がたずねますと、右の中年僧がニコニコして、
「あねさん[#「あねさん」に傍点]塚でござんすよ」
「あねさん[#「あねさん」に傍点]塚?」
「ええ、これが有名なあねさん[#「あねさん」に傍点]塚でござんすが、尋ねて下さるお方は甚《はなは》だ少ないでごわしてな」
その甚だ少ない中の、自分が一人であると見立てられると、道庵先生いささか得意にならざるを得ない。
「いや、それほどでもないですがね、あねさん[#「あねさん」に傍点]とは申しながら、これほどのものを無縁塔にして置くのは惜しいと思いましてな」
あんまり要領を得ない返事をします。右の中年僧が、改めて道庵先生のために説明の労を取りました。
「いや、無縁ではございませんが、まあ、一種の悪縁とも言うべきでしょうか、これほどのお方の遺蹟が、すっかり世間から冷遇されることになりましたのは、遺憾千万なことでござんすよ」
「あねさん[#「あねさん」に傍点]も、世間からそう冷遇されるようになっちゃあおしまいだ。いったい、あねさん[#「あねさん」に傍点]、あねさん[#「あねさん」に傍点]と言わっしゃるが、ドコの何というあねさん[#「あねさん」に傍点]なんですね、まさか本所のあねさん[#「あねさん」に傍点]でもござるまいがなあ」
と道庵が言いますと、中年僧は、
「あねさん[#「あねさん」に傍点]というのは俗称でござんしてな――実は五大院の安然《あんねん》大和尚のこれがその爪髪塔《そうはつとう》なんでござんすよ」
「ははあ、安然大和尚、一名あねさん[#「あねさん」に傍点]――」
「その通りでござんす、これが安然大和尚の爪髪塔なることは、歴然として考証も成り立つし、第一、磨滅こそしているようですが、よくごらんになりますと、ここにこれ、もったいなくも『勅伝法――五大院先徳安然大和尚』と銘がはっきり出ております」
「ははあ、なるほど」
道庵がまだ注意しなかった石の側面に、なるほど立派に右の如く読める文字が刻してある。そこで、中年僧(実は長安寺の住職平田諦善師)は安然和尚に就いて、その来歴を次の如く道庵先生に語って聞かせました。
三十七
五大院の安然に就いては、「本朝高僧伝」には次の如くに記してあります。
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