になると怖ろしいもので、道庵先生に於てすら、今日は朝の迎え酒だけで、それからはわきめもふらず本草学に熱中している。昼になっても、夕方になっても、飯の一つも食おうということを言わないし、酒の通いのちょこちょこ[#「ちょこちょこ」に傍点]などはおくびにも出ないで、一心不乱になっている。この体《てい》を見ると真に寝食を忘れている。まず、この分なら安心である。この人が生活の空虚を感じて、人生の悲観に暮れるということになったら、もう天下はおしまいです。
 かくして一日が暮れる。一日作した後の、一日の充実せる疲労を以て、ぐっすりとこの庵室に快眠を貪ることによって、天下泰平の兆《きざし》があります。
 無論、その夜の夢に、小町も出て来なければ、お豊真三郎も出て来ない。第一、出て来る方でも、道庵先生のところへ出て来たって、出て来栄えがしない、張合いがないと思って、それで出て来ないのです。翌朝、眼がさめると、おきまりの迎え酒|一献《いっこん》、それからまた側目《わきめ》もふらず昨日のつづき、本草学の研究に一心不乱なる道庵先生を見出しました。

         三十六

 その翌日も、異常な興味を以て本草学の研究と整理に熱中していた道庵先生が、お正午《ひる》頃になると、急に大きなあくび[#「あくび」に傍点]とのび[#「のび」に傍点]を一緒にして、カラリと筆を投げ捨てるが早いか、座右の一瓢《いっぴょう》を取り上げて、そそくさと下駄をつっかけてしまいました。どこへ行くかと見ると、早くも長安寺の石段をカタリカタリと上りつめて、それから尾蔵寺の方へ抜ける細い山道を、松の根方をわけながら、ゆらりゆらりと登って行くのです。
 ほどなく山腹の平らなところへ出て見ると、ここに、一風変った十三重の塔みたようなのがある。高さ一丈ばかり、とても十三重はないけれども、その塔の様式が少し変っているものですから、道庵先生は立ちよって、ためつ、すがめつ、石ぶりをながめていましたが、石刻の文字が磨滅してよく読み抜けないでいました。
 すると、少し離れたところに、落葉を掃いている中年僧が一人おりましたが、道庵先生が、特別に注意を払って、右の十三重まがいの塔をなでたりさすったりしているのを見て、我が意を得たりとばかり、右の中年僧が箒《ほうき》を引きずりながら近寄って来まして、
「よいお天気ですな」
と言いました。
「よ
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