「では本当は、わたしはお軽さんと同じ運命に売られていくのではあるまいか、与一兵衛さんに見立てられた佐造老爺さんは、実はぜげん[#「ぜげん」に傍点]の源六という人ではないか、長浜へ用向とは表面上、わたしは、真実は売られて行く身ではないかしら、もしか真実に、わたしがあの忠臣蔵のお軽さんと同じ運命に置かれた身であったとしたら、わたしはどうしよう……」
というような空想。お雪ちゃんは最初から相当なロマンチストでありますから、駕籠に揺られながら、思わず忠臣蔵の劇中の人に身を置いて、あの芝居の中の最高潮の悲劇のことを、とつおいつ[#「とつおいつ」に傍点]考えはじめましたが、いつしか、そんな空想も破れて、それはあるべきことではない、第一、お銀様という人が、わたしを欺《だま》して売るなどと、そんなことのあろうお人柄であろうはずはない――いったい、わたしは何のために、どうしてこんな盛装までさせられて送られねばならないのか、単にお銀様その人の好奇《ものずき》の犠牲としての、この成行きであろうはずはないが――問うてみても許さるべきでなかったし、問わない方がかえって気休めであると思って、こうして送られて行くが、行先のことが考えれば考えるほどわからない。人の看病ということにしても、なにもそれだけなら、ことさらに、わたしを煩《わずら》わさなくとも、いくらもほかに人はあろうものを、わたしでなければならないようなこの仕打ち――それをお雪ちゃんが、また駕籠の中で思いめぐらしているうちに、ようやくはたと気がついたことがありました。
 ああそうだ、昨日、不破の関守さんのお話の末に、ふと、お銀様のお父様が、こちらへ旅をしておいでになったとのこと、それを小耳にはさんだように覚えているが、それで分った。お銀様のお父様がその長浜の浜屋とやらに泊っていらっしゃる、お銀様としては、あの気象で、お父様を取持つことはできないから、それで、わたしを代りに――それそれ、それに違いない。お銀様のお父様という人は、甲州第一のお金持、その大家の長女としてのお銀様との間に、何か言うに言われない悲しい事情がおありなさるということは、わたしもうすうす聞いていた。父に反《そむ》いた娘を、父の方から見届けに来るということも、また有りそうな親心。
 お雪ちゃんは、そう合点《がてん》をしてみると、急に明るい気持になりました。その役目としてわたしが選ばれた上は、できるだけお銀様のお父様の御機嫌もとり、なおできるならば、父と子との間の相剋《そうこく》の融和の足しにもなって上げたい。これは全く光栄のある役目に遣《つか》わされたものだ。それだけ責任というものも重きを加うる所以《ゆえん》で、お銀様のお父様のお気に入られないまでも、あんな卑しい女とさげすまれないように心がけなければならぬ。その点もあればこそ、お銀様もこうして、それとなくわたしの身だしなみにまで心をつくして下さったのだと、それで万事が呑込めました。
 お雪ちゃんは、こんな心持になってみると、世間が明るくなった思いでしたが、日はいつしか暮れ方で、早くも長浜の町に入って、与一兵衛どのの案内知った手引で、浜屋の裏口に着いていました。
 浜屋の表から案内を頼むには及ばない、万事は絵図面に描いてもらってある。鍵をあずかっているから、直接に裏口の木戸からと言われる通りに、その辺で下り立って、夕まぐれひとり浜屋の裏口の木戸に向って行きますと、石畳の二間ばかりの堀に、町としては美しい水が流れていて、そこに刎橋《はねばし》がある。
 そこを渡って、木戸の錠前《じょうまえ》を外からあけにかかった時に、お雪ちゃんがまたなんとなく陰惨な気分に打たれました。

         三十

 湖畔にこういう突風が起りつつあることを知るや知らずや、道庵先生は抜からぬ面《かお》で、大津の旅宿|鍵屋《かぎや》の店前《みせさき》へ立現われました。
「わしゃ江戸の下谷の長者町の道庵というものだが、この宿に同じ江戸者で、お角さんという、下っ腹に毛のねえのがいるはずだ」
と、いきなり店先へ怒鳴り込んだものです。
 江戸の下谷の長者町の道庵とみずからを名乗ることもよろしい、同じ江戸者で、お角さんという相手の名を呼ぶのもよろしいが、下っ腹に毛のないというのはよけいなことです。下っ腹に毛があろうとも、なかろうとも、この場合、そんなよけいなことを附け加える必要は断じてない。この点では、いきなり玄関払いを食うべき無作法だが、不思議と宿では、
「それ、おいでなすった」
 この無作法千万なる来客を、待っていたとばかり、帳場も、男衆も駈出しという体《てい》で、下へも置かず、手をとって、早くも座へ招じ上げようとする。
「まあ、そうおせきなさるなよ、医者だからとて、旅へ出たら少しは楽をさせてもらいてえ。旅人《たびにん》だよ、この通り、旅路だから草鞋《わらじ》脚絆《きゃはん》という足ごしらえだあな、まずゆるゆるこれを取らしておくれ――それ、お洗足《すすぎ》の用意用意」
 道庵は、上り口へどっか[#「どっか」に傍点]と腰を卸して、泰然自若たるものです。
「さあ、お脚絆、さあ、お草鞋――さあさあ、お洗足……」
 全く下へも置かず、頭の慈姑《くわい》を摘《つま》み上げんばかりのもてなし。道庵としては全く初めてのふり[#「ふり」に傍点]のお客である。馴染《なじみ》でもなければ、定宿でもないのに、いくら下へ置かぬ商売だからといって、これはあまりに要領が好過ぎ、呑込みが好過ぎ、サーヴィスが有り過ぎる――と一応は、そうも受取れますけれども、これあながち、その根拠がないわけではないのです。
 お角さんは、道庵の来るのを待兼ねていて、いつ何時、これこれこういう人が、尋ねて来るかも知れない。必ずよっぱらっておいでになり、口にはたいそう毒を持っているから、そのつもりで扱って上げてください。なアに、口に毒は持っているけれども、御商売は薬を扱う江戸でも名代のお医者さんだから、失礼のないように。もしわたしが不在でも、かまわず部屋へお通し申して、できるだけ丁寧に扱って上げておくれ。そうしてまた、御酒が大好きなんだから、吟味したところを、いくらでも御所望次第差上げておくれ。お肴《さかな》もこの琵琶湖の選抜《えりぬ》きのところを――なあに、いくら召上っても正気を失うような先生ではない、わたしが帰るまで、そうしてできるだけ丁寧に取持って置いておくれ――
 こういうことが、お角さんからかねがね吹込んであるものですから、宿でも先刻心得たもので、
「それ、おいでなすった」
 車輪になって、お角さんの申しつけて置いた通りに、サーヴィスをはじめたものです。
 かくて、足も取り、洗足《すすぎ》も終ってみると、早速通されたところは、お角さん借切りの豪華な一室でありました。
 御輿《みこし》を据えるとたん、早くもお銚子の催促であり、その催促を皆まで言わせない先に、続々とお好みの見つくろいが取揃えられる手廻しぶりに、道庵すっかり悦に入《い》ってしまって、
「どうも、これだから、上方《かみがた》の奴は油断がならねえ、ことにこの江州者ときては、昔っから近江泥棒、伊勢乞食といって、こすい[#「こすい」に傍点]ことにかけては泥棒以上だから油断も隙《すき》もありゃしねえ、道庵|来《きた》ると見て、ハイ灰吹の格で、このサーヴィスぶり、いやはや全く、江州者には油断がならねえ」
と、早くも盃をとりながらこういう御託宣ですから、給仕に立った女まで呆《あき》れた面《かお》をしました。
 幸いに、この給仕女が他国者であったからまず無事とはいうものの、その土地へ来ていきなり、「近江泥棒、伊勢乞食」と浴せかけるなんぞは、いくらなんでも毒が有り過ぎて、相手が気の短いものなら張り倒されるにきまっているが、これは多分、山城の場末あたりから来た新参の女中だったのでしょう、
「ホ、ホ、ホ、仰山《ぎょうさん》、御機嫌よろしうおますな」
「おますよ、おますよ、おましちまわあな」
 たあいもなく道庵も、駈けつけ三杯を納めることができました。

         三十一

 道を枉《ま》げて胆吹山へ侵入した道庵が、どうして、いつのまに、ここまで来着したか、順路を彦根、八幡《はちまん》、安土《あづち》、草津と経て、相当の乗物によって乗りつけたか、或いはまた徒歩でテクテクとやって来たのか、そうでなければ、いったん長浜へ出て、あれから湖上を、ここまで舟で乗りつけたか――ただしは例の脱線ぶりあざやかに、湖水の北岸廻りをして、野洲《やす》から比良比叡の山ふもとを迂廻して来たか、その詮索はひとまずさしおいて、もし徒歩でテクって来たとすれば――道庵先生は老いたりといえども、あれでなかなか平地を歩かせては達者なものです。それは裏宿七兵衛や、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といったような生れ損ないの足とは比較にならないけれども、背が高くて、コンパスが長いだけに、足には充分覚えがあるのですから――相当な突破をしていると見てもよろしいのですが、陸路を来たとしても、八幡、彦根、安土の順路を取らなかったことは確かです。何となれば、草津街道へかかりさえすれば、いやでも昨今のあの「晒《さら》し」を見ないわけにはゆかない。あの「晒し」が一目なりと道庵の眼に触れた以上は、さア事です。その沸騰は、まさにお角さん以上と思わなければならない。それが無事でここへ来ているというのが、あの晒しの現場を通らなかった証拠――と言えば言えるに違いないが、それにしても、もしまた駕籠《かご》か馬でもハリ込んで、揺られながら、いい気持の寝呆先生《ねぼけせんせい》気取りで、「乗せたから先は……」なんかんと納まり込んで、さしも街道名代の草津の晒し場を、ムニャムニャのうちに突破して、ここへ無事に到着の段取りと解釈のできないこともない。
 いずれにしても道庵先生は、自分が唯一無二の股肱《ここう》と頼み切った米友が、今日明日のうちに首がコロリという、きわどい、危ない運命のほどを、一向に御存じないことだけは確かなものです。
 さればこそ、この油断も隙もないもてなしを、遠慮会釈もなく引受けて、太平楽に納まり込み、
「江戸を一歩一歩と離れるのは、それだけ故郷に対して一歩一歩と淋《さび》しくもあるが、京へ一歩近づくほどに、酒《こいつ》がよくなるのは有難え。江戸は道庵が第一の故郷である、酒は第二の故郷である、第一の故郷を離れて、第二の故郷へと進んで行くんだ、有漏路《うろじ》より無漏路《むろじ》に帰る一休み、と一休坊主が言ったのは、ここの呼吸だろうテ」
 途方もないでたらめを言いながら、たしかに吟味してある酒と、これは吟味しなくともおのずから備わる湖上の珍味とを味わいつつ、ひたすら興に乗ってしまい、いったい訪ねて来た相手のお角親方はどこへ行った、いつ帰るのだ、と駄目を押すことさえ忘れている。この酒と、この肴《さかな》さえあれば、尋ねる主などは、いてもいなくても差支えないという御輿《みこし》の据《す》えぶりでしたが、宿ではあらかじめ、かなりにその予備知識が吹き込んで置かれてありましたから、さのみ驚きません。
 道庵先生は、いよいよ御機嫌斜めならず、しきりに管《くだ》を捲いたり、取りとまりもないことを口走ったりしておりましたが、相手の年増女中がいっこう気のないのを見て取って、
「お前、あっちへ行きな、おらあひとり者なんだから、この手酌でチビリチビリというやつに馴れてるんだ。そうして置いて、頃を見計らって、お代り、お代りと持って来て、そこへ置きっぱなしにして、そうして行っちまいな――いい、おらあ、ひとりで、チビリチビリと独酌というやつでねえと、酒が旨《うま》く飲めねえたち[#「たち」に傍点]なんだから――」
と、また一本の徳利を逆さに押立てて、したみまでも、しみったれに猪口《ちょく》の中へたらし込みながら顎《あご》でそう言いましたから、女中も心得て、
「それでは、失礼させていただきまんな、御自由に、たんとお上りあそばせ」
 女中を追払ってしまった道庵は、いよいよいい気に
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