、口はわななくけれども、いずれへ何と挨拶し、いずれへ何と諫言《かんげん》していいか、その言葉の緒《いとぐち》を見出し難い。
その時、病床の伊都丸少年は、また声を落して言いました、
「姉上とても、一旦こうまでして清洲を立退いておいでになったものを、今更おめおめとお帰りづらいものがお有りでしょう、たとえ事情がこの通りとは申せ、出入りの者のおもわくさえも不快なものがござりましょう、それを御承知の上で、お戻りなさる非常の覚悟、梶川氏、それを察していただきたい、それ故に、貴殿は、このままひそかに先発して清洲へお帰りを願いたい、そうして留守宅の万事を程よくこしらえて置いて、それから、夜陰こっそりと姉上を迎えていただきたい、そうして、世間|体《てい》はどこまでも熊本へ立ったことにして置いて、邸内も広いことでござる故に、姉上は一間に籠《こも》って人に面を知られないように、貴殿は、さのみ注意する人もあるまいから、どこまでも留守をあずかる人のようにこしらえて、陰《かげ》になり、陽《ひなた》になって、姉を助けて志を成さしめていただきたい、それを御承知ならば、このまま直ぐに貴殿は清洲へ向けてお引返しが願いたいのです」
梶川少年は、その言葉を聞きながら、紅顔が熱し、これも同じく涙が頬を伝って流れます。
奥方は、いずれをいずれとも言わない。梶川としては、姉の言葉に従って、病める弟を見ついで九州へ下るべきか、非常の覚悟と冒険を予期して、ひとり留まらんという姉のために、弟の忠言に従うべきか、いずれが是、いずれが非かわからないうちに、なにものかの強い道義心に打たれて感動する。しばらく、判断も利害も離れて、ただ感動に堪えられないでいるうちに、最も冷静なのは病める弟でありました。姉と、友なる人の、言わんとして言い難き時に、この弟は冷静に、流暢に、従って極めて理路整然としてまた言いました、
「そうして、三カ月を限っていただきたいのです、姉を助けて向う三カ月のうちに、姉の目的が達せられません時には、もはや、天、加藤家を捨てたりと思召《おぼしめ》して、姉を守護して熊本まで下っていただきたい、そうしてかの地でわれわれは笑って再会して、おたがいに今後の生きる道を楽しく語り合いたいものです、この申し出には姉上も御異議はござりますまい」
九十三
やがての事の結論は、ついに梶川少年が、両者へ対する義理と犠牲心から、病める弟の忠言を聞いて、留まる姉への奉仕とならざるを得ないことになりました。
梶川少年は、仲間小者《ちゅうげんこもの》となる覚悟を以て、銀杏加藤の奥方を助け、病友が要求する三カ月の期限以内に必ず目的を達して、九州へ下って相見《あいまみ》えるということを誓約的に断言したのです。奥方も、ついにこの説を容れざるを得なくなって、そこで、この一座の評議は、友義と、同情と、犠牲心とを以て美《うるわ》しくまとまりました。
奥方が、立って、荷駄の差図に別室へ赴《おもむ》いたあとで、伊都丸は、梶川を枕もと近く招いて、ひそかに言うよう――
「梶川殿、姉はああいう気象ですから、如何《いかん》とも致し難いです、姉は尾張の名古屋の城は、徳川の名古屋城ではない、加藤の名古屋城だと信じているのです、そうして、加藤清正の唯一真正の血統は、我々姉弟のほかにはない、名古屋にも、加藤と名乗って清正の直系と称する家は幾つもあるけれど、みな傍系に過ぎない、先祖の加藤清正が、悲壮なる覚悟を以て心血を注いだあの城、あの城には先祖の魂が籠っている、いつか時勢がめぐりめぐり来《きた》って、加藤の子孫がこの城の主となる時がなければならない、と常始終、こんなに考えているのです。そうして、事毎に拙者を努め励ましてはいるのですが、拙者は姉と異って、左様なことには極めて淡泊なのです。よし我々が加藤の正系であろうと、傍系であろうと、それは私にとっては何の加うるところも、減ずるところもないのです。清正といえども、摂家《せっけ》清家《せいけ》の生れというわけではない、本来を言えば、豊臣秀吉と共に、尾張のあの地点の名もなき土民の家柄なのです。秀吉の威力が増大するにつれて、清正も天下の大大名とはなりましたけれども、本来、秀吉も、清正も、自負すべきところはその門地や家柄ではなく、その天性の実力にあったのです。拙者の如きはその点を偉なりとしますけれども、姉は清正以来の家系というものに重きを置いているのです。それに姉はこの尾張の国で生れたのですけれども、拙者は肥後の熊本で生れました、その土地の引力かも知れませんが、姉は金鯱《きんしゃち》の見える土地に執着を持っている、拙者は阿蘇の煙の見えない土地は、生きる土地でないような気持がしています、熊本へ帰ると、そこに先祖の菩提所《ぼだいしょ》があります、我々が一生不足なく暮らせるだけの知行もあります、また、幼な馴染《なじみ》も、我々を尊敬してくれる郷土民もあるのです。郷土の人は、どこからともなく、我々の家柄が加藤清正の家系である、今の細川家よりも古いのである、というような観念を持っていて、それで特に我々を尊敬してくれるのです。もし系図というものに余徳がありとすれば、名古屋城の金の鯱《しゃちほこ》の光よりも、この郷土民が何百年の昔の歴史に信仰を置いて、何の功業もない我々を尊敬してくれる、これこそ、系図の余沢《よたく》、先祖の光である、拙者はそこに先祖の有難味を味わって生きて行きたい。そういうふうに熊本では人心が皆、拙者になついてくれる、特に風土が、拙者の身体にかなっているようです。有名な阿蘇があります、その周囲には幾つもの温泉が、我々を温めてくれます、それから八景《はけ》の水谷《みや》だの、水前寺だのいうところの水がよろしいです。いったい、どこを掘ってもよい水です、一歩、海辺へ出ると、柑橘《かんきつ》の実る平和な村があります、三角《みすみ》の港から有明の海、温泉《うんぜん》ヶ岳《たけ》をながめた風景は、到底、関東にも、関西にもありません。それに加うるに穀物が実ります、米も、肥後米といって第一等の米がとれるのです。なおその上に、国主の細川家と、先住者の加藤家との間の諒解が極めて美しい。ところによっては先住の豪族を平げて、後の国主が入城し、両者の間は仇敵のような例も随分ありますけれども、肥後の熊本に限っては、今の細川家が、先の加藤家の崇信者であり、同情者でありますから、加藤の名によって肩身が広くなるのです。そういうところですから、拙者は姉と違って、熊本を故郷なりとします、今、名古屋城をお前に与えるからと言っても、それを受けて住む気にはなれないのです。梶川氏、貴君もぜひ、熊本へ来てごらんなさい、必ず熊本が好きになるにきまっている。しかし、拙者は拙者として、斯様《かよう》な愛着に生きているけれども、姉のああした気象と意気を軽んずる気にはなれない、あの見識で生きている姉を尊敬しなければならないのです、よって、正面から姉の精神を斥《しりぞ》けるわけにはいかないのです。男子は裸一貫と、意気とで生きなければならない、系図に物を言わせるようになってはおしまいだと言いたいのですが、姉のあの気持を尊重するとそれが言い出せない、ですから、貴殿は姉を見ついで、決して危険を冒《おか》してまで系図などに執着する必要はないから、程よくして、三カ月目には必ず熊本へ来て下さい。熊本へ来れば、貴殿に安住の地が必ずある、しかし貴殿は以前から、長崎へ行きたい、支那へ渡りたいというようなことを言っておられたが、かりにその希望のためとしても、遥《はる》かに都合がよくなって行くのです、わが家の系図などに執着せずに、貴君の身を安全にすることを第一に考えて下さい」
伊都丸少年は、こう言って、繰返して友なる梶川少年に口説《くど》きました。梶川はそれを最もよく諒解しました。
「貴君の心持はよくわかっています、吉左右《きっそう》ともに、これから三カ月後には姉君を伴うて必ず熊本へ参りますから、貴君も心を安んじ、御自愛第一にして待っていて下さい」
九十四
かくて梶川少年は、ひとり大垣の宿《しゅく》を先発して、清洲の山吹御殿に帰りついてのその日の宵のことです。
誰も知らない間に裏手から、その広大な屋敷のいずれにか無事に潜入してしまいました。
その夜更けて、同じ裏手の門が内から開かれると、いつのまにか門側に忍んでいた一人の女性が、身を現わしたと思うと、早くもその裏門から身を没して、広い邸内のいずれにか吸い込まれたことは梶川少年と同じことです。ほどなく、邸内の山吹御殿の、桔梗散《ききょうち》らしの豪壮な一間に、形はいかめしい銀の燭台に光はしめやかな一種の燭がかがやくと、そのところに銀杏加藤の奥方が端然と坐っています。やや間を置いて、かしこまっているのは梶川少年。
二人は、無事に、この旧邸へ立戻って来たのです。
「梶川様、ほんとうに、ここまで来て安心いたしました、万事は皆あなたのおかげです、何と感謝していいかわかりませぬ。本来、わたしが、こんな強情を言って、立戻ることを主張しましたのは、確かにそれと充分の心当りがあればこそなのです。名古屋城には加藤の四家というのがございまして、それがいずれも清正の正統と称しているのです、その加藤四家のうちの、いずれの加藤とは申しませんが、そのうちのある一家が、特別に、わたくしの家の系図に目をかけておりました、そうして、表面には出さないけれども、手をかえ、品をかえて、いろいろの好条件の下《もと》に系図譲受けを策動して参りました、それのみではない、わたくしの一身までも……そういう執心の家が現在あったということを知って下されば、これからの探索にも有利であろうと思います、そこに心当りがあればこそ、わたしは存外簡単に目的が達せられるのではないかと、こう思いましたものですから、強《し》いて弟を振捨てて帰って参りました」
奥方からこう言われると、前にかしこまっていた梶川少年は、充分それを納得して、附け加えて申します、
「拙者も実は、奥方のお心持を左様に忖度《そんたく》しておりました、それのみならず、関ヶ原まであの夜の曲者を追いかけた時に、あれがどうしたものか、途中で何者かのために辻斬られている、その死骸にぶっつかって、篤《とく》と見定めて置いたのです。彼が暫くの間でも、御当家へ下郎として仕えていたということ、金子《きんす》も取るには取ったが、それは無事に戻ったにかかわらず、下郎の分際として、何の役にも立つまじき系図に目をかけたことと、その系図だけが紛失していること、それらから考え合わせて、これは背景があるのだと直感しましたから、その時、下郎から相当の証拠を集めて置きました。これから清洲へ帰って、あの下郎の身元を洗ってみれば、それからだいたいの当りがつくように信ぜられましたから、奥方様に先立って、ひとりこちらへ引返すことを主張しましたのです。それには幸いに伊都丸君が一行を引具して、相変らず旅路を続けられるということがかえって好都合でした。あなた様と拙者とが、立戻って来ているということが知れては、先方が警戒しますけれども、今宵のことは誰も知りません、今後も、あなた様は決してお座敷を離れてはいけません、万事の奉仕は拙者一人が致します、出入りの者にも感づかれてはなりません。拙者は大丈夫です、こうして昔と変った仲間小者のいでたちで、留守居を頼まれたようにしていれば、誰も怪しむものはありません、ことにここは一城廓とも言っていい別天地ですもの――そうして、名古屋城下に程遠くもない地の利を占めていますもの、ここを根拠として、これから名古屋城下を隈《くま》なく、私がたずねます。万一、見知る者があってはと存じ、面《かお》を少々|灼《や》くことに致しました」
梶川少年から、頼もしい限りの言葉を聞かされた銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方は、その最後の一句に至って、美しい面を曇らせて、
「それはいけませぬ、面を灼くとおっしゃいましたね、梶川様、どういうことをなさるのか知れないが、それだけは思い
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