はございません、村が水になると言うて、皆が心配してなげいておりやすがな、遠からず、この村が水にされてしまいますげな」
「村が水になる?」
 兵馬も、つい足をとどめて不審をもって見直すと、
「はい――さきほどもごろうじませいな、竿入れに役人衆がお見えなされましたわな、この村という村、谷という谷が、日ならず水になりますといな、白山白水谷の水をこれへ落して、ここが大きな池となりますえな、わたしら、先祖の御魂《みたま》まつり場がござりませぬでな」
「はあ――そうでしたか」
 兵馬は、憮然《ぶぜん》として、要領を得たような得ないような心持で、そのまま墓地を突破してしまいますと、それから多少の間、やはり人家はあるにはあるけれども、人のいないこと、前の通りである。
 とにかく、村の老若男女は、数をつくしてあの墓地へ集合してしまっていることは間違いがない。足を早めるともなく、兵馬ら二人は足を早めて、ついにこの部落を出切ったところと覚しい、また小高い山道に立って、言い合わせたように二人が、過ぎこし村を見おろし、
「お気の毒ね」
「どうも要領は得られないが哀れだ」
「かわいそうですね」
「かわいそうだ、要するに、白山白水谷の水をこの村へ落して来て、この村全体を湖水にしてしまうのだ、住民は先祖の地を失うと言うて歎いている、先刻の役人が、人心の動揺を刺戟するなと言ったのはこれだな」
「この谷底を水にして、何になさるつもりでしょう」
「何にするつもりか――」
 そういう二人の疑問は疑問として、さて、日下《ひさが》りにもなってみれば、村人のために心配してやるよりは、差当り、自分たち二人の身の上の今晩のこと、まだ日はやや高しとも、いまの村あたりに宿を求める心算《つもり》で来たのだが、ああしてこの村を無気味に通過してしまえば、次の村まで伸《の》さなければならぬ、次の村といっても、飛騨《ひだ》と、越中と、加賀との山つづきだ、これから先、どのくらい行って、どこに家があるのか、そのことはわからない。

         五十

 兵馬は今夜の塒《ねぐら》について苦心経営の思いをしているけれども、福松はいっこう一寸先のことには気を遣《つか》っていない。かえって、それを痛快とするふうにさえ見えました。この女は、最初から――この旅を無上に嬉しい旅路と心得て、しょっちゅう浮き立って歩いている。新婚旅行の旅とも思っていないだろうが、世を忍ぶ道行なんぞとは考えていないらしい。極めて晴々しい顔色で、春の野原を心ゆくばかり羽を伸《の》して舞いあるく胡蝶のような足どりで、兵馬を導いて行く気どり方だけはよくわかる。
 名にし負う飛騨から越中への難路などは全く打忘れて、前途のことに屈托がないのみならず、この旅路が一寸一刻も長かれかしと、引っぱって行くような気分さえ見えるのです。そうして事に触れ、物に触れては、味な話を持ち出して、兵馬をからかったり、もたれかかったり――兵馬にとっては、この女の物語が、アラビアン・ナイトであったり、デカメロンであったりする。その現在と刹那《せつな》だけに生きて楽しんで行けるこの女の足もとを見ると、さてさて女というものは図々しいものだ、途方もない度胸のあるものだ、ということを兵馬が、別方面から見て呆《あき》れざるを得なかったのです。
 くだんの村を横断しきって、やがて次の谷に至るべく峠路の上に出た時、女はおきまりの、そこでホッと息をついて、同時に兵馬の足を抑留する。しばらくして、
「この村がすっかり池になったら、景色がよくなるでしょうね」
と、しげしげと、いま越え来《きた》った谷村一面を見おろして、女が言いますと、兵馬は、
「景色はよくなるかも知れないが、人間はかわいそうだよ」
「そうねえ、谷がいっぱいに水になった日には、景色はよくなっても、人間は生きて行かれませんねえ」
「それを思うと気の毒だよ」
「いよいよ池になる時は、あの人たちはどうするでしょうね」
「そりゃ、他所《よそ》へ移り住むよりほかはあるまいじゃないか」
「いいえ、わたしは、そうは思いません」
「どう思う?」
「あの人たちは、この谷が水になっても、この土地を去らないだろうと思います」
「ホホウ、それじゃ水の中へ住むか」
「ええ、わたしは、きっとあの人たちは土地を去らないで、水の中をすみかとするでしょうと思います」
「してみると、舟でも浮べて水上生活というのをでもやるか、そうでなければ、人間が魚になるんだな」
「そんなんじゃありません、あの人たちは、どうしても故郷を立去る気になれないんです」
「そりゃ、人情はその通りだが、すでに谷が水になるときまったら、いつまでもああしてはいられまい」
「ところが、あの人たちは、あの墓を抱いて、村と共に水に沈む覚悟をきめてしまっているように、わたしには見えてなりませんでした」
「ばかな、そんなことがあるものか、一時は名残《なご》りを惜しむのも人情だが、いよいよの時にああしておれるものかな」
「ところが、これはもちろん、わたしの心持だけなんですが、あの人たちは、あれは、たしかにお墓と心中するつもりなんですよ、心持は面《かお》つきにあらわれるものです」
「ふーむ、君の眼ではそう見えたかな」
「見えましたとも、動きませんよ、あの人たちは、ああして、いよいよ水の来るまでお墓を離れない決心だと、わたしは見極めてしまいました」
「そんなことがあるものか、一時の哀惜と永久の利害とは、また別問題だからな、そうしているうちに、相当の換地が与えられて、第二の故郷に移り住むにきまっているよ」
「それは駄目です、あなた」
「どうして」
「あなたという方には、故郷の観念がお有りになりません」
「ないこともない」
「有りませんね、あなたは、早く故郷というものを離れておいでになったのでしょう、ですから、故郷というものの本当の味がおわかりになりません。たとえ、故郷に十倍のよい地面を与えられたからといって、欲得ずくでは故郷を離れる気になれるものではございませんよ。わたしのように、旅から旅を稼《かせ》いでいる身になってみると、その心持がよくわかります。あの人たちは、たとえどんな住みよい土地が与えられたからと申しましても、それへ行く気にはなれない人たちですから、結局、お墓を抱いて水の底に葬られて行くのです。それにあなた、あの人たちは平家の落人《おちうど》の流れだというではありませんか」

         五十一

「平家の落人《おちうど》の流れだから、どうしたというのだ」
「そこですよ、あなた、平家は源氏と違って、人情の一族だということを御存じになりません?」
「うむ」
「平家は一族盛んな時には栄燿栄華を極めましたけれど、亡びた時は、一族みんな一緒でした、そこへ行くと源氏は、父を殺したり、叔父を殺したり、兄弟が攻め合ったり、殺し合ったり」
「なるほどな」
「感心して聞いていらっしゃるわね。あなたより、わたしの方が学者なんです、耳学問が肥えていますから――ところで、その平家の一族は、源氏に追いつめられて、もはや地上では生きられないから、一族がみんな水の底に……御存じでしょう?」
「知っている」
「平家というお家柄は、みんな、そうした人情に厚いんです、ですから、あの人たちは、そう安々と、立ちのき料をいくらいくらやるから、ここよりも、ずっと住みよい地面を十層倍も上げるから、と言って聞かせたところで、このお墓の地を離れて行く気には決してなれないものと、わたしはあの時に見て取ってしまいましたのよ」
「なるほどな、それも一理窟だ」
「いいえ、理窟じゃありません、理窟から言えばわからない話じゃありませんか、相当の立ちのき料を上げて、相当の換地もやるから立てと、地頭から言われた日には、足もとの明るいうちに、なるたけたくさんのお宝と、利分のある土地をもらって、移ってしまうのが当世のわかった理窟なんでしょう、ところで、あの人たちには、そういう理窟が通用しないから因縁《いんねん》です、つまり、人情に生きて行こうというものです」
「人情というよりも、歴史だな、歴史に生きて行こうというのだな」
「何でもよろしうございます、わたしは、この人情ずくがよろしいと思います」
「しかし、どのみち立ちのくものであったら、がんばるのは愚《ぐ》だな」
「そりゃ、馬鹿ですね、ですけれども、馬鹿がその人間の世からなくなってしまったら、人間の世はもうおしまいでしょう」
「どうして」
「どうしてたって、あなた、これはこの谷底のたれも知らない、ちっぽけな村のことなんですけれども、これを大きくとって見たらどう、たとえば、いま申し上げた平家の例にとって見たらどう、一族がみんな水の底へ沈むようなばかな真似《まね》をしないで、源氏に降参すれば、どこかの土地に安楽に生きて行かれるとしても、それに降参して生きたくないというところに、大和魂《やまとだましい》があるんじゃなくて?」
「大和魂と来たな」
「大和魂でなくってどうなの、もし、もっと大きく、日本の国と唐《から》の国と戦《いくさ》をしたとしてごらんなさい、唐の国がいくら強くて、日本がたとえ敗けそうになった時でも、この土地をよこせ、そうすればお前にはもっと広い、住みよい土地をやるから、足もとの明るいうちに立ちのけと言われても、日本人として、はい、それならばよい土地と、立退料を、たんまり下さい、そうすれば、どこへでも行きます、というようになったら、もうおしまいじゃないの」
「それは少したとえが大仰《おおぎょう》だ」
「大仰だかなんだか存じませんが、先祖の土地が立去れない、他国の土地に移り住むよりは、先祖のお墓を抱いて死にたいという、あの人たちの心意気が、わたしは嬉しいわ、それが大和魂というものじゃなくって?」
「いずれにしても、あの村の人たちの運命は見物《みもの》だ、どうなることか、わしも、旅でなければ見きわめて行きたい気持にさせられる」
 兵馬は、この女から思わざる論理を聞かされて、改めて谷村を見おろし見直していると、女がまた言う、
「越前の敦賀港《つるがみなと》の沖へ乗り出すと、大昔、地震のために辷《すべ》り込んだ一村が、そっくり、山も、森も、林も、そのままで海の底に落着いているそうですね、天気の大へんによい日、どうかすると舟の上から、その村の家と、人が、そのまま沈んで見えることがあるそうです。幾年かの後、この村もそうなるんでしょう、舟で渡る、後生《ごしょう》のいい人だけが、沈んだ村の相《すがた》を舟の上から水底に見る――てなことになるんでしょう、お気の毒な運命ですけれど、美しい大和魂が、わたしは嬉しいわ」
 女は、しきりに大和魂を述べ立てるのが、兵馬にはおかしい。おかしいけれども、どこにか笑えないものがある。

         五十二

 この山間では、谷一つ、村一つが、数百年の歴史と共に、水底に没し去らんとして村人を悲しませているが、他の一方では、一つの湖水が全部|干上《ひあが》ってしまうという臆説のために、人民が動揺をはじめました。
 前のは、何を言うにも、飛騨の山奥の谷底の一村、しかも、誰も知らない村、たまたま知っている者は、畜生谷なんぞと人外境のように呼びかけて辱《はずか》しめている村、全村あげて悲しむとも、それに同情する者は、たまたま通りがかりの宇津木兵馬と、連れの芸者の福松ぐらいのものでありますが、一方、湖水が干上るということの危惧の下《もと》に動揺をはじめたのは、その事柄も、及ぼす影響も、無比のものでありました。
 それは全く比較にはならない。日本第一の大湖、近江の琵琶湖の湖水が全く干上ってしまうという風聞が捲き起って、湖上湖辺の人心をおびえあがらせてしまっているのです。たとえ流言蜚語《りゅうげんひご》にしてからが、そんなばかばかしい問題が起るべきはずのものではない。よし、また起ったにしたところで、一笑に附し去るべき程度のものだと排斥するのは、歴史と、実際と、人心の機微とを知らないものの言うことでした。琵琶湖の水が干上ってしまうという風説の根拠には、決して荒唐無稽ならぬ、
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