ためなのだ。そうして、家康はそれに成功したのだ。天下の平和のために、百姓を犠牲にしたのだ。百姓をいじめたいから、自分が栄華を極めたいから、そこで百姓を虐待したわけではないのだ――現に、百姓共が、安穏に百姓をしておられるのも、この徳川の武力があればこそではないか。強い武力がなければ、国は取られ、田は荒され、百姓は稼《かせ》ぐところを失うどころか、稼ぐべき田地をさえ持つことはできない。
 だから、百姓は百姓として、分を知って服従していさえすればいいのに、ややもすれば反抗したがる。表面服従して、少し目をはなせば一揆を起したがるのが百姓だ――ことに近来は、一揆の無頼漢の音頭を取るものを称して「義民」だのなんのと祭り上げる輩《やから》が多いから、百姓がいよいよ増長する――云々《うんぬん》。

         二十

「どこの国の百姓も、百姓としては皆うだつの上らないのは同じだが、ことにこの近江の国の百姓はみじめ[#「みじめ」に傍点]なものです」
と、青嵐居士が不破の関守氏に向って言うと、
「どうしてですか」
「それは、京都をつい背後に控えているだけに、戦争というと、この国が唯一の要路となるので
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