って、農民にとって、徳川家は仇敵《きゅうてき》ででもあるかのように聞えるが――事実、天下の政治をするものに、好んで農民を苦しめたがる奴があるものか、苦しめるには苦しめるだけの理由があるからだ、苦しめられる方は、苦しめられるだけの因縁《いんねん》があるからなのだ。
 いったい、発祥時代の徳川家の地位を考えてみるがいい。天下は麻の如く乱れて、四隣みな強敵だ。その間から千辛万苦して天下を平らかにする――勢い兵馬を強からしめねばならない。兵馬を強からしめるには、後顧の憂いを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。百姓は、矢玉の間に命がけで立働くには及ばない代り、柔順に物を生産して、軍隊の兵站《へいたん》を補充しなければならない。万一、百姓を強くしてこれに反抗の気を蓄《たくわ》えしめた暁には、強い戦争ができるはずはない。そこで百姓を骨抜きにして置かなければ、軍隊を強くして、天下を平定することはできないのだ。
 だによって、家康が百姓を抑えたのは、武力を伸ばさんため。武力を伸ばすのは、天下を平定せんが
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