うべきものがなくして、ただ単に「逃げ走る」ということだけが罪になるのか。
事実は、まさにその通りなのである。罪があってもなくても、逃げるということがいけない、逃げるということが罪になる。
三
胆吹《いぶき》の上平館《かみひらやかた》の新館の庭の木立で、二人の浪人者が、木蔭に立迷いながら、語音は極めて平常に会話を交わしている――
「ありゃ、身内のものなのです、土地っ子ではありません、ですからこの土地へ来て農奴[#「農奴」に傍点]呼ばわりをされる籍もなければ、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪を着せられる因縁が全くないのです」
と言っているのは、ほかならぬ元の不破《ふわ》の関の関守氏、今やお銀様の胆吹王国の総理です。それを相手に受けこたえて言う一人の浪人者、
「そうでしょう、数日前、拙者の寓居を訪れてから間もない出来事なのです、あの者がこの土地の者でないことは、拙者もよく存じておりました、然《しか》るにこの土地の農者として、あの男一人がちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪をきたという所以《ゆえん》に至っては……」
と言ったのは、過ぐる日、琵琶の湖畔で、釣
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