ることが本意ではなく、現住地では越ゆるに越えられぬ人為のいばらがあればこそ、彼等は手に手を取って逃げるのである。
 もし罰するとすれば、やはり殺しに於ける、盗みに於けると同じように、私通であり、姦通であり、そのことに罰せらるべくして、逃散そのことに罪があるべきはずがないのです。
 然《しか》るに、この場の晒し者は、これらのいずれもの罪科に適合せずして、ひとり「逃散」が罪になっている。「逃げ走る」こと、或いは逃げ走ったことだけが罪となっている。観念が甚《はなは》だ明瞭なるが如くして、不明瞭なるものではないか。
 にも拘らず、通るほどの人は、いずれもそれに黙会を与えて過ぎ去る。
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]か――」
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]ではやむを得ない」
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]では、どないにもならんさかい」
 畢竟《ひっきょう》ずるに農奴[#「農奴」に傍点]なるが故に「逃散」が罪になるということは、当時の常識に於て、ほぼ納得せられているらしい。
 然らば、農奴なる者に限っては、殺しもせず、盗みもせず、私通も姦通も行わずして、いわば、なんらの罪とい
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