に傍点]という身分を自称したこともなければ、未だ嘗《かつ》て他称せられたこともありません。やはり米友とても、農業のことを働かせれば働きます。伊勢の拝田村では、宇治橋の河原へ稼《かせ》ぎに出る間は、自宅で相当の百姓仕事をやっていたのです。現に胆吹山の王国では、お銀様の支配の下に、ついこの間まで、極めて僅少の時間ではありましたけれども、鍬《くわ》をとって、あらく切りなどを試みていたくらいですから、やってやれないことはないのですけれども、特に農奴という戸籍に数えられていたわけではない。
 それからまた、「逃散」の罪は、盗みの罪ではない。殺しの罪でもない。大抵の場合に於ては、逃げるとか、走るとかいうことは、本罪ではなくて、いわば副罪ということになっている。すなわち、殺しをし、盗みをしたことなどのために、現地に安住が為《な》し難くなって、それから他領他国へ――或いは天涯地角へ逃げ走る――ということが順序になっている。他領他国へ逃げ走らんがために、殺しをし、盗みをするということはないのです。はたまた、殺しでもなく、盗みでもなく、人の大切の妻女と合意の上で逃げるという事態に於てすらが、その目的は逃げ
前へ 次へ
全365ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング