があるものと解せられているらしい。
然《しか》らばちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]とは何ぞ。
二
ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]は即ち「逃散」であります。現代的に読めば「とうさん[#「とうさん」に傍点]」と読むことが普通である。「逃」をちょう[#「ちょう」に傍点]と読むことと、とう[#「とう」に傍点]」と読むことだけの相違なのです。これを訓読すれば、「逃げ散る」というのほかはない。
そこで、農奴なる分際のこの晒《さら》し者《もの》は、「逃散」の罪によって、ここにこの刑に処せられているという観念は明瞭になりましたが、それはただ、捨札に表われている文字だけの意味のことであって、これを本人の方より言えば、宇治山田の米友が、ここで、どうして「農奴」という身分証明の下《もと》に、更に「逃散」という罪名を以て、今日この憂目《うきめ》を見なければならない事態に立至ったのか、その観念に至っては、明瞭なるが如くして、未《いま》だ甚《はなは》だ明瞭を欠くのであります。
米友が、賤民階級に生れ出でたということは、本人自身も隠すことはしない。しかしながら農奴[#「農奴」
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